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聖岳東尾根(2019/03/07-13)

メンバー:CL千田(4)、SL松坂(2)、青柳(1)、一色(1)

3/7 移動日

 ついにこの日がやってきた。。。厳冬期聖岳。1年間思いをはせていた山だ。朝5時に起きて、実家の荷物も背負いながら仙台駅へと向かった。集合場所に到着すると一色さんが待っていた。しかし、千田さんがいなかった。千田さんから実家の名取から乗車するという連絡をいただき、すばやく青春18きっぷを使って鈍行に乗る。千田さんに何があったのかと思って心配していたが、どうやら千田さんが寝坊したらしく仙台には間に合わなかったそうだ。とにかく合流できたのはよかったので結果オーライだろう。

 ほどなくして新宿へ。新宿駅で青柳が待っていた。ここから青柳の車で聖岳の登山口へと向かうのだ。南アルプスの南部は非常にアプローチが悪く、バスもない。だから、車を出してくれるのはありがたかった。

 東名高速を走っていると大雨で走りづらかった。しかし、静岡に入ると雨がやみ、虹が出始めた。その時僕が運転していなかったのであまり見れなかったのだが、きれいだったそう。これは聖岳の成功を暗示するものだと思って期待を胸に突き進んだ。皆、静岡って暖かいしいいとこだねって話していた。

 静岡で買い出しを行い、聖岳への登山口へと向かう。しかし、静岡から登山口まで下道で80㎞。しかも、そこまでの道はところどころ1車線しか走れないような狭路も多い。暗闇の中をひた走っていく。静岡の市街地が静岡の「光」だとすると、ここは静岡の「闇」なのだ。そう盛り上がっていた。

 しばし、静岡から揺られること2時間半。ようやく沼平ゲートに到着した。静岡で買った冷めた夕飯を食べてすぐに就寝した。

3/8

天候:快晴

0435 沼平ゲート、入山

0825 聖沢登山口

0940 尾根取りつき

1035 1700m地点

1350 ジャンクションピーク、幕営

 明け方はずっと風が強く、青柳が「車飛ばされてるんじゃないですかね⁉」とか言ってたが、車は無事だった。1時間で入山の準備をした後、聖沢登山口まで長い14㎞の林道歩きが始まった。14㎞と聞かれてえぇ~と感じてしまう人がいるかもしれないが、林道歩きがあってこそ聖岳という山が奥深くそして趣深く感じられ、そしてこの山行が達成感と充実感に満たされたものになるのかもしれない。暗闇の中ヘッドライトを頼りに歩いていると、茶臼岳の登山口に到着した。ここは畑薙第一ダムの吊橋がかかっているのだが、かなり長い吊橋だった。それから歩いていると聖へと向かう車が走っていった。おそらくこの車は林業関係の車だと思われるが、みんな載せてもらいたい気持ちを隠すことができず、帰りはヒッチハイクしようという機運が高まっていった。(先ほど言っていたことと矛盾しているような…)

 次期の運営とか人間関係など千田さんに相談しながらも歩いていき、4時間で聖沢登山口に到着した。ここら辺の歩荷は南アルプスの山々が出迎えてくれたこともあってか青葉山一周よりも全然楽だった。そこで登山支度を行う。しかし、ここまでの時点で雪の気配がまったくない。これは雪があるのか心配だ。期待と不安がそこにはあった。

 さて、登山道に入り1時間して取付きに入る。しかし、そこで斜面が崩落しており泥交じりの斜面を登らざるを得ない状況となった。いくらここを登っても滑るし、もし落ちたら谷底へ真っ逆さまである。今山行で最大の核心ではないかと思ってしまうほどだった。ようやく尾根に取付き、順調なペースで登っていく。案の定雪が少なく、幕営を予定したところは雪が少なかったため高度を稼ぐことに。しかし、2000m付近から雪が深くなりはじめ、結局膝程度のラッセルとなった。急登+ラッセル+30㎏の歩荷は精神的にも肉体的にもきついものがあったが、渾身の力を振り絞ってジャンクションピークにたどり着いた。今日は14㎞の林道を歩荷した後、ジャンクションピークまで標高差1100m登ったのだから改めて思うとがんばったものだ。

 今日の夜は塩豚鍋だった。このメニューは定番になりつつある。美味しくいただき就寝。

3/9

天候:快晴

0330 起床

0510 発、幕営装備デポ

0720 白蓬の頭直下

0820 森林限界、ワカンストックデポ

1005 2800m地点、撤退

1015 フィックス開始

1110 フィックス終了

1330 帰幕

 前日に今日の登山の方針を話し合ったが、結論としてジャンクションピークから聖岳をピストンしようということになった。これは案外聖岳に簡単に行けるだろうという憶測だった。しかし、それは油断となった。

 いつも通り起床して、出発。前日のラッセルを考慮してワカンを装着した。1時間すると日が昇り、富士山が見え始めた。それでも聖岳東尾根の積雪量はそれなりにあり、膝程度のラッセルとなった。懸命にラッセルを行う。白蓬の頭付近では二重山稜によりルートファインディングが難しかったが地形図を読み込んだ。

 そして、ついに森林限界まで来た。そこでアイゼンに履き替えて登頂を目指した。ここから雪稜となる。ピッケルアイゼンワークが試される場所だ。いざ雪稜に乗るとやはり恐怖感が押し寄せてくる。かなり痩せたナイフリッジ、落ちたら数100m落ちるような斜面…。個人的には先月に行った阿弥陀北稜よりも難しく感じた。ここより下1000mの世界は雪がなく、まるで夏山のような感じだが、ここに来るとやはり世界がまるで違う。南アルプスを甘く見ていた。しっかりと踏み込みトレースを作っていくが、なかなかペースが上がらない。青柳も恐怖を訴え、フィックスしようかと検討する。しかし、ここでフィックスしたら登頂は無理だろうと思われ、結局慎重に歩いて通過しようとした。2700mに到着した時点でコースタイムよりも1時間遅かった。そのため、登頂できる見込みはないとして撤退を決めた。

 その時、実は僕の心の中では葛藤があった。こんなに遅くなっては次回のアタックでも厳しいのではなかろうか。また、自分の技術的レベルにも不安があった。自分でも不安があるのに1年生2人をマネジメントできるのか。さらに聖岳東尾根を3日で行けなかったという精神的な萎えもあってもう下山でもいいんじゃないかという気持ちが脳裏によぎった。

 そのように考えているうちにすぐに2700m地点直下でフィックスの準備に取り掛かった。フィックスは千田さんがリードで降りて行き、僕が千田さんをビレイした。僕としては冬山の実践の場で初めてビレイすることになったが、それを初めて千田さんと組ませていただくことは光栄なことである。

 特に問題なくフィックスを終え、すぐに撤退した。その日、天気が良かったのも相まってここで撤退しなければならないのがかなり無念だった。ジャンクションピークまで戻るまでも精神的に萎えて、いまだに葛藤を抱えていた。しかし、テントに戻るとその葛藤は癒えここまで準備してきたからには登るぞという気持ちが頭の中で回転し始めた。それが自分の3日後の大きな原動力となったかもしれない。そういえば去年9月に行った北アルプス縦走でも10日目で大雨と強風のため薬師岳を撤退してその翌日に薬師を越えたことは僕の中でかなり心に刻まれている。そのプレイバックをもう1度挑戦する機会がやってきたと思うとモチベーションが上がってきたのであった。

雪稜へのチャレンジ

3/10

天候:晴れのち曇り

0430 起床

0640 発

0830 森林限界、幕営

 今日はベースアップするだけで明日停滞し、それから明後日アタックするという方針を定めた。

ゆっくりと起床し、ゆっくりと出発。メインザックを背負っているが、昨日つけたトレースは残っており、さくさくと登れた。森林限界に到着したときはまだ晴れ間も見えており、富士山も一望できた。

 さて、楽しみの停滞日は2日間続く。ここで何をやるのか皆もうすでに決まっていた――将棋である。千田さんと青柳と松坂は最近没頭していて、ここで絶対やろうと決めていた。今回、どういうわけだかこの山行は魔剤山行っていう(どういう意味かは誰も知らない)位置づけらしく、この将棋も「魔剤カップ」と称して開催された。将棋の実力に関しては青柳と千田さんが互角というレベルで僕が数段格下という前評判だった。しかし、なんとか僕は青柳に2勝できたのは素直にうれしかった。千田さんは強かった。そこで編み出されたのがノスケ流で筋違い角、向かい飛車からのふんどしの桂馬ということらしい。実際、それで青柳に勝ったのである程度自信につながった。なお僕は現在それで将棋を指していないのはここだけの話である。

弟の合格を山で無事に聞いたところで今日は就寝した。

魔剤カップ夜の部

3/11

天候:雪のち曇り

停滞日

 朝目覚めると雪がテント内を圧迫し、テント内の空間が明らかに狭くなっていた。外に出てみるとなんと1m以上積もっていた。南アルプスの前評判は晴天が多く、雪はそこまで積もらないという話であったが、ここまで積もるとは驚きだ。というのは、今日の未明に南岸低気圧が通過して、日本列島は全体的に大荒れだったのだ。そんな中誰もいない山に閉じ込められているのは狂気の沙汰だったかもしれない。

 朝は棒ラーメン二郎。最近流行っているが、僕はそこまで好きではない。やはり二郎は創作するものではないと思う。やはり山から下りた後下界に行ってあの黄色い看板をまじまじと数十分間見て中に入って二郎を食べるのが一番美味しいと思っている。

 それはそうと今日も雪かきしながら、ひたすら将棋を指していた。テント内では電波は入らないのでひたすら将棋を指す以外にやることがなかった。テント内から数10m歩いたところで電波が入るのだが昼間にtwitterを使って生存報告をした。やはり世の中はテクノロジーなしでは生きていけないのだなと痛感した瞬間だった。

 その日青柳は「聖に登頂したら川内南キャンパスで2人ナンパする」と宣言していた。聖に登頂してそのままナンパで難破されないように注意してほしいものだ。

 夕方になるとあたりは晴れて、視界が良くなった。目標の聖は見えなかったが、赤石岳が見え始め、その雄大さに感銘を受けた。それを見ているうちに士気が上がっていった。明日が唯一のアタック日。その後の日は時間的に厳しかったためラストチャンスである。最後自分に喝を入れて就寝した。

聖が見えてきた

3/12

天候:晴れ時々雪

0300 起床

0445 発

0610 2800m地点

0735 奥聖岳

0800 前聖岳

0835 奥聖岳

1045 幕営地

1145 発

1225 白蓬ノ頭

1450 2100m地点、幕営

 朝早く起床。この日は緊張と寒さであまり眠れなかった。寒いってことは放射冷却つまり晴れている証拠なのだろう。期待を胸に準備を進めた。ギア類などで手間取って出発が15分遅れる。しかし、聖岳東尾根の雪稜は前日の積雪の影響もあってかくるぶし程度のラッセルとなったが、3日前に行ったこともあるとは思うが、恐怖感が薄れ登りやすくなっていた。

 北には赤石岳のシルエットが見える。まもなく日が昇ろうとしているのだろう。しばらくすると辺りが白みはじめ、富士山が見えてきた。朝焼けの富士山は何か神々しさを感じた。これを見ると富士山の山岳信仰が確立されるのも当然だと感じた。そうしていると、富士山の左から太陽が昇り始め、日本に住み日本の山に登っていることの幸せをかみしめた。

 3日前より心理的負担は減り、2800m地点に到着した。ここから先は未知の領域である。しかし、ここからは奥聖岳は見えるが、前聖岳は見えない。聖岳東尾根は森林限界以降に関しては、標高差は少ないものの水平距離が長いのだ。さらに奥聖岳直下が聖岳東尾根の核心なのである。まだまだ油断ならない。

 この後も当然のごとくナイフリッジは続き、危険箇所は続いた。また、前日の降雪の影響もあって雪崩も心配だった。雪崩が発生しそうなところは1人ずつ通過して対処する。注意深く登っていると、核心に到着した。そこは岩場と雪のミックスのような場所で比較的手間取ったが、フィックスなしで通過した。1年生もよく歩けていた。

 核心を越えて、急な登りを越えると奥聖岳に到着した。3日前の撤退から立ち直って登頂したと思うと感慨深かった。頂上で喜びを分かち合い、ビクトリーロードともとれる聖岳へと向かう。確かに風は強かったが、歩行に影響が出るほどではなかった。

 聖岳に到着すると仙丈ケ岳、中央アルプスが見えた。富士山はかすんでしまったが、今まで見た中でトップクラスの景色だった。また、この雪稜を踏破できた喜びがじわじわと湧いてきた。

 でも、油断はできなかった。核心の下りを僕自身一番警戒していたのである。登ったときには下りでフィックスするか考えものであった。ただ、今回木やハイマツなどの確固たる支点が存在せず、クライムダウンを選択せざるを得なかった。1年生もアイゼン歩行に関しては問題なかったこともその根拠となった。結果的にかなり心配ではあったが、無事に通過できたので良かった。

 その後も油断できない箇所はあったが、クライムダウンで問題なく通過した。これで聖岳東尾根の雪稜は終わった。僕自身6日間粘ると思っていなかったが、非常に手ごたえのある雪稜であった。

 幕営地に戻って下山の準備を開始した。ここから沼平ゲートまで案外長い。下山に2日かかるのは結構珍しいことなのかもしれない。下山するとすぐに白蓬の頭まではおとといまで残っていたトレースは積雪により消え、再び腰までのラッセルを強いられることとなった。下山日のラッセルは精神的に苦痛だった。登りでラッセルするのは頂上に到着したときに達成感あってやりがいのあるものだが、下山するためにラッセルするというのはただの苦痛でしかないと僕はつくづく感じている。第一、なんであんなに苦労してトレースつけてきたのに消されてしまったのか。でも、これが長期山行の運命なのかもしれない。(変な愚痴ですみません)

 しかし、1年生の頑張りもあって白蓬ノ頭以降はサクサクと下山できた。順調なペースで幕営地に到着。予備食が1日分余っていたので予備食パーティーを開催したが、みんな満腹になって予備食を残してしまうという事態になってしまった。あまり羽目を外すと痛い目にあってしまうものだ。そう思いつつ、就寝した。

奥聖岳が美しい

無事登頂

3/13

天候:曇り時々雪

0330 起床

0535 発

0725 聖沢登山口

1120 沼平ゲート、下山

 いつも通りの時刻に起床して出発したのだが、ここで青柳が左足指先の痛みを訴える。どうやら凍傷だそうで、今回の山行で最も反省すべき点であった。昨日はかなり寒くて、その際に靴を冷やさない努力をしなかったこと、そして靴を濡らしてしまったことが凍傷を負ってしまった原因だと思われる。これに関してはもちろん凍傷対策を怠っていた青柳も良くないが、凍傷の指導を怠っていた上級生が一番よくなかった。

 青柳の凍傷を気にかけつつ下山を開始する。下山時はルートファインディングが比較的難しかったが、豊富な赤布を頼りに進んでいく。かなり速いペースで1700m地点に到着。5日前より雪がちらほら見えた。どうやらここでも雨ではなく雪が降ったようだ。いかにこの南岸低気圧が巨大だったのかを推察できる。

 尾根伝いで降りると例の泥交じりの斜面に出る。しかし、今回の斜面は泥ではなく昨晩の寒さによって泥が固まって歩きやすくなっていた。よって、特に問題なく通過。その後も順調に通過し、聖沢登山口に到着。やっと終わったのかという安堵に包まれた。ただ、冬型の影響もあってか雪が降ってきた。ここに雪である。南アルプスは最後まで試練を与えるつもりである。魔剤山行(?)である。とにかく頑張ろう。

 14㎞の林道歩きは皆とにかく早く下山したいという一心だった。青柳に至っては林道を通過するトラックにヒッチハイクをした。しかし、ヒッチハイクは規定上できないらしく、断られた。だが、「頑張ってください」って言われたので幾分か励ましにもなった。

 猛然とペースを上げる中疲れを見せている人もいた。あとx kmという看板を見ながら、早く到着したいという気持ちともう終わりかという気持ちが交錯した。あと1㎞というところで晴れはじめ、今まで来た南アルプスを一望した。聖岳は見えなかったが、雄大にそびえる南アルプスの山々は美しかった。この極限の世界に6日間どっぷり浸かっていたと思うと非常に名残惜しかった。そして、沼平の通行止めゲートが見えた。まもなく下界への扉を開こうとしていた。ばらばらだった隊列は最後は集まり、皆で歩いた。下山を終えた。終えるとすぐに皆で握手しあって、皆で登ったのだと再認識した。

 温泉に入り、焼き肉を食べて帰京した。春休みの中で最高に充実した6日間であった。(松坂記)

魔剤のポーズを掲げる皆さん

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