劔岳定着 長次郎谷雪訓

January 19, 2020

著者

メンバー:CL松坂(3)、SL室田(3)、杉森(3)、星川(3)、青柳(2)、木下(2)、亀岡(2)、山村(2)、山本(2)、内山(1)、遠藤(1)、種谷(1)、野下(1)、福田(1)、山川(1)、永田(OB)

 

8/11

天気:晴れ

0410 BC発

0503 平蔵谷出合手前斜面、雪上歩行訓練開始

0745 訓練終了

0840 熊の岩、ロープワーク訓練開始

1145 訓練終了

1230 平蔵谷出合手前斜面、雪上歩行訓練開始

1315 訓練終了

1355 BC着

 

2日目は、平蔵谷出合や長次郎谷出合、熊の岩で雪上訓練を行った。これから数行はその山行記となるが、はっきり言って面白くないので、賢明な読者には読み飛ばすことをお勧めする。というのも、雪上訓練について書くことなど、ほとんどないからである。雪上訓練は、別に山頂を踏んだりすることもないので、モチベーションもそんなに上がらない。もちろん、山頂を踏んだり、行動をしたりするために必要な技術の練習なので、疎かにしてはいけない。しかし、そもそも、TAAV(東北大学学友会山岳部)はガチガチの体育会系山岳部ではなく、ハイキングサークルでもなく、その中間のゆるふわ系山岳部なので(と僕は思っているので)、めちゃくちゃ雪上訓練がキツイ、ということはなく、一気に技術力UP!、ということもない。それ故に、印象に残っていることも少ない。3年生の先輩方は、自分達が1年の時にやった(やらされた)雪上訓練のように、後輩が誰もついてこられないペースで歩く、というしごきをやりたかったらしいが、OBの方に後ろを見るように指導され、出来なかったそうである。そんなわけで、めちゃくちゃキツイ、ということもなく、いや~余裕だわ、と言える程の体力もなく、可もなく不可もなく、山もなく谷もない、それが雪上訓練の思い出である。

 

ただ、これではあまりにも内容が薄く、先輩方に書き直しを命じられてしまうので、先ほど話に出た、OBというものについて、主にこの部活での立ち位置を話の枕として、好き勝手に少し話をさせていただこう、と思う。

OBというものを聞いて、皆さんはどのようなことを思い浮かべるだろうか。少し歳の離れた先輩とか、コーチのような存在(実際、OBがコーチをやっている部活もあるかもしれない)、全く会わないという部活もあるかもしれない。ただ、山の部活においてOBといえば、会わない人は例外として、大体、隊を率いて一緒に山を登る引率OBから、後ろをついてきて緊急時以外は何もしない付き添いOB、計画を見てアドバイスをくださるアドバイザーOB、金銭的補助をしてくださるOBなどが主である、と思う。その中で、TAAVでは本山行のように、実際山についてきてくださるOBの立ち位置は、引率OBと付き添いOBの間、といったところだろうか。実際指導もしてくださるが、隊を統率するわけではない、山の技術のアドバイザーなんて言い換えをすると分かりやすいかもしれない。

ではここで、理想のOBの立ち位置というものは、どこなのだろうか。もちろん、それは部活ごとに異なるとは思う。技術が低い部活は、先ほどの引率-付き添いパラメータだと、OBの立ち位置は引率の方にいかざるを得ないだろうし、技術が高い部活とかやっている山と自分たちのレベルがあっている部活は、付き添いとして、いてもらうことも出来るだろう。また、これは実際に一緒に山に行くOBの話であって、一緒に行かないOBの立ち位置というものもある。積極的にアドバイスをして事故などが起こらないような安定した組織運営に寄与するのか、本当に危ない時にしか口を挟まず成功も失敗も経験として現役に還元するのか、などという軸もあるだろう。

これらについては、もちろん部活ごとに異なる話なので、ここでどうこう、ということ話ではない。これからする話もTAAVのことについて言っているわけではなく、あくまで一般論である。その前提の上で、個人的な意見を述べさせていただけるのであれば、僕が理想とするOBの立ち位置というのは、『現役の邪魔をせず、現役がしたいことを見守る』、ということである。実際、僕もTAAVの現役部員であると同時に某高校の山岳部のOBでもある。OBとして付き添いをさせていただく機会もあり、色々と考えさせられることも多い。その中で思うことは、OBからすれば口を出してしまうことは、とても簡単に安全を担保出来る行為である。あまり偉ぶるつもりはないが、OBから見れば、現役がやっていることは、相当危なかしいこともあるし、そこで口を出すことは容易い。その上、安全にもなる(と少なくとも自分では思う)。なんと素晴らしいことであろうか。ただ、ここで拍手喝采を送る前に、今一度振り返ってほしい。そんないい事しかない虫のいい話があるだろうか。

 

OBが口を出す、ということは、現役が学び、成功したり失敗したりする機会を奪っていることではないだろうか。

正しく言えば、『OBが口を出す、ということは、現役が自分で考え行動し、その結果失敗する機会を奪っていること』ではないだろうか。

山に限らず、自ら考え自ら行動し、その末に得た結果ほど人が学び育つものはないのではないだろうか。

しかし、こう言う人もいるだろう。『いやいや、山で失敗したら最悪死ぬでしょ。そんな自考自行してその結果死んだら元も子もないじゃないか。』と。または、こんな意見もあるかもしれない。『そんな自考自行した結果、何かあった時に誰が責任を取るのか。』と。

だが、前提として考えなければならないのは、我々が行っているのは、登山というレジャーではない。登山というスポーツでもない。上手い表現が見つからないが、あえて気取って言うのであれば、山と命がけで向き合い、自分と命がけで向き合っているのである。そんなことを行っている人間にとって、他人が言う意見と、自分がする(した)経験、どちらにより価値があるのだろうか。

そろそろ長文となり、これを読んでいる人も飽きてくるだろうから、広げた風呂敷を畳もう。

我々は命を担保にして山に挑んでいる。で、あるなら、一番大事なことは自考自行ではないだろうか。なぜなら、担保は他でもない自分の命なのだから。

なら、現役山岳部員に求められている、求められるべき最も大事な力というのは、思考停止せずに常に『自ら考え自ら行動する』こと、そして『失敗しても何があっても生きて帰ってくる力』、であるように思う。そのような山岳部員を育てるために、周りがしてあげるべきこと、OBがしてあげるべきことは、丁寧に道端の石ころをどけてあげることではなく、岩だらけの道を見て、行ってこい、と背中を押して見守ってあげることではないだろうか。

 

ここまで好き勝手に私見を述べてきた。これが仮に、先輩方の検閲の目をすり抜け、TAAVの山行記として載っていたとしても、今までの意見は完全に個人的な意見であり、TAAVの総意などではもちろんないので、その点はご留意いただきたい。

もちろん反対意見や、反対までとは言わないが賛成しかねる、という意見もたくさんあるかと思う。

僕がここでしたかったことは、自分の意見の共有(押しつけ)ではなく、問題提起のようなものである。これを機会に、山に行く、とはどういうことか、OBの在り方とは、また、山に限らず、他人に何かを教えてもらうとは、論理を飛躍させて大学とは何か(?)、そんなことを考えていただけたら、もしくは再考していただけたら、書いた甲斐がある、というものである。

最後まで読んだ暇で奇特な人もそんなにいない、と思うが、そんな付き合いの良い方に何か得るものがあったら幸いである。

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