蔵王冬合宿

参加者:CL松坂(3),SL星川(3),亀岡(2),木下(2),山村(2),遠藤(1),福田(1)


2/9

天候:雪

0430 片平集合

0715 すみ川スノーパーク入山

1100 清渓小屋

1120 清渓小屋付近、雪上訓練開始

1400 雪上訓練終了


今年度の大きな目標であった春の蔵王縦走合宿がこの計画の原案だ。様々な事情により当初の計画よりかなり縮小してしまったが、今までの合宿の集大成となるような山行である。そんなこの山行の始まりはなかなかハードなものだった。

すみかわスノーパークまでは昇太さんがハイエースで送ってくれた。最近よく蔵王に来るな…と思いながら途中で爆睡してしまい、目を覚ますと外は猛吹雪だった。本当に車から出たくなくなった。ザックを下すため下車したがあまりの寒さに一瞬で車に戻る。登山靴を履くなど車内でできることはすべて車でやった。準備が終わると入山。凍った下り坂を帰る昇太さんに思いを馳せつつすみかわスノーパークを登りエコーラインに入る。エコーラインで出会った圧雪車のおじさんに、条件が悪いので山に行かないでほしいというようなことを言われたが、気を付けて行動しますとしか言えなかった。蔵王には登山者も多く来るが、その割に山屋への当たりが強く、登山者はお金を払ってもスキー場のバスを使わせてもらえなかったりする。悲しい。

その後エコーラインからコンパスを振って清渓小屋に到着。雪が割とあったので付近で雪訓をした。最近の寒波による積雪で、スキーで来れば最高に楽しいだろうパウダーだった。ものすごい深さの雪崩捜索をしたのがいい思い出だ。雪訓後は小屋で餃子とケーキを作った。どちらもとてもよくできて、おいしく食べた。就寝前にヒュッテンブーフに思い思いの言葉をつづり、小屋迫を満喫した。


2/10

天候:晴れのち曇り

0400 起床

0630 発

0745 刈田岳

0920 熊野岳

1135 名号峰

1435 八方平避難小屋、幕営


 清渓が名残惜しく出発が遅れたが、刈田岳まで順調に登った。視界が悪く、また微妙なラッセルに少し疲れたころ青空が見え始める。のすけさんによると、これは疑似好天らしい。お釜や熊野岳のあたりでは非常に天気が良く、遠く飯豊や朝日、月山、鳥海山などを見渡すことができた。あまりにいい天気なので本当に疑似好天なのかしらと疑ってしまうほどだったが、その後やはり天気が崩れた。気象の知識をもっとつける必要がある。名号峰から八方平までは雪庇が出ており、それを避けるため軽めの藪漕ぎとなった。雪質は初め軽いパウダーだったが、お昼過ぎには春のような湿雪に変わっていた。樹氷が発達しており、みんなで写真を撮ってスノーモンスターを満喫した。

名号峰以降避難小屋がなかなか遠く、かなりへとへとになった。しかしいざ避難小屋につくと、割ときれいな小屋にテンションが上がり、三人がかりで雪かきをして小屋の扉を開くことにした。中は二段ベッドのようなものがあり、ストーブや石油まであって非常に快適そうだった。今回はトイレだけ使用させてもらったが、こちらもきれいで使い心地がよかったので個人で来た時にはぜひ利用したい避難小屋である。

八方平まで行ったころには雪がちらついており、翌日以降の悪天が予測されたので停滞を決定。楽しいメンバーで朝ゆっくり起きられる停滞に喜んだ我々は、夜遅くまで怖い話をして楽しんだのだった。

私の年度内の部での山行はこれが最後だった。今年度は前期に多くの山が立ち、私も毎週のように山に行っていた。剱岳定着合宿、夏の個人山行もほぼ完遂し非常に充実した時間を過ごせたと思う。しかし後期は前期のようにうまくいかないことも多かった。たくさんの山が中止になってしまったし、休部や怪我や病気など私たちの手に負えないようなことも起こった。それでも、今回こうして(縮小はしたものの)蔵王縦走を実施し、楽しい時間を過ごせたことは私にとって大きな救いだった。一年間一緒にたくさんの時間を共有してくれた部員とその機会を与えてくれた山岳部には感謝してもしきれない。来年度もゆかいな部員と楽しい山に行けるよう精進したい。

(亀岡記)


2/11

停滞日

前日のうちから冬型の気圧配置になることがわかっており、この日は朝から停滞だった。

私は二度寝をする快感を味わいたいため、「6:00くらいにアラーム鳴らしましょうよ」と前日の夜に言ったのだが、テント内からのブーイングの嵐で辞めざるを得なかった。結局隣のテントの笑い声という世界一平和なアラームで朝を迎えることになった。

朝起きると私は心踊っていた。なぜか。停滞が初めての経験だったからだ。

山で起きたら、暗闇でヘッドライトをつけ、ご飯を食べてすぐ出発。一息付く暇なんてない。ましてやテント内の仲間とダラダラとだべったり遊んだりすることもない。

そんな常識が崩れる気がした。朝ダラダラと起き、皆でだべりながら朝ごはんをつついて、平和にトランプする。山でこんなことあっていいのかと思った。

停滞ってそれほど悪くない。なんならこの時間がずっと続けばいいのに…。そう思った。ただ、悪天候の中、トレイに行くのだけは本当にしんどい、、。

お昼頃になって、もうひとつのテントからみんながやってきて、蔵王のメンバー全員でトランプを何時間か楽しんだ。

その後もまったりとした山時間を過ごして、停滞を満喫した。(福田記)

2/12

天候:快晴

0400 起床

0550 発

0720 南雁戸山

0840 雁戸山

0950 蟻の戸渡り

1040 通過終了

1420 笹谷IC、下山


起きてトイレに行くと吐き気がするほど星が見えて、上を見上げるとのけぞりすぎて背中から雪に倒れそうになった。

テントを撤収するときも常に星に気を取られてテンションが上がりまくりだった。ここまで縦走やってきてよかったと本気で思った。


いつも通りビーコンチェックして一人一人新主将木下氏の、横を通り過ぎて行くのだが、後ろから来るゆかいさんが映えすぎて、何回もシャッターを切ってしまった。


そのうち日の出を迎え、空がだんだんと黒から橙に変わっていくのを見て、震えた。二つの意味で。


南雁戸、雁戸ではそれぞれみんなで記念撮影した。空も、みんなの笑顔も素敵すぎて今ふりかえってみても最高だったと思える写真になったと思う。


かくいう私は、GoProを頭に装着し、周囲の風景を撮りまくっていた。私が山をやるモチベの3割くらいは動画とか写真に残してあとから振り返るという行為なので、頑張ろうと思ってずっと撮っていたのである。

最大の難所だと思っていたアリの戸渡りも思っていたほど怖くなく、普通にみんな通過できて楽しかった。最大の難所は蟻の戸渡りではなく、前日の準備の面倒くささだったと自信を持って言える。



無事に笹谷ICに着いた時には本当に達成感があった。山は自然が作った巨大な構造物で、ICは人類が作った巨大な構造物。その対比をしてみた時に初めて自然への畏怖を感じさせられるのだと思った。


今回の縦走を通して山はやはり自分にとってなくてはならないものだと感じた。最近山に登り始めた人に比べたらモチベとかはそんなにないかもしれないけど、

こうして山に入って仲間とすごしている時間は絶対に自分の人生の歯車を狂わせないために大事だし、なにより山の景色が好きなので、

山との縁は腐っても切れないだろうなと思った。


私にとって今年度の山行はこれにて終了した。実際にはコロナの影響でほかの山行もほぼ中止に追い込まれたので合宿が最後だったと言う人も多いだろう。これはこれで致し方ないことなので、切り替えて新年度から上級生として活動して行く他ない。


蔵王縦走のあと、20日間の海外旅行に行き、そのあと1ヶ月スキー場に幽閉されたあとにこの山行記を書いているので、記憶が曖昧な部分があるのはご理解いただきたい。

(福田記)


総括


下山して笹谷ICが見えると僕は安堵した。無事に下山できた喜び、もちろんそれもあったが、何より「人の大切さ」というのを深く実感した山行であったからだ。

もともと蔵王縦走合宿は2年前に存在していた計画であった。しかし、2年前は蔵王連峰の噴火警戒レベルが上がったことにより入山規制を受け、蔵王縦走合宿は中止となった。今回、2年前の復刻版としてこの計画にチャレンジしようと思った。

当然、蔵王縦走は体力・技術・経験すべてが伴っていないと完遂できないと思っていたので予備山行も昨年よりも一段レベルを上げた合宿とした。昨年は初冬合宿に船形山、冬合宿に岩手山(大雪のため縮小)というような計画であったが、今年は初冬合宿に岩手山、冬合宿に早池峰山縦走という蔵王縦走に向けてハードな予備山行を選定し、実行に臨んだ。この計画を完遂することで課題とされていた「重荷を背負ってのアイゼン歩行」を早池峰山で実践することができる。

ただ、課題はこれだけではなかった。計画を立てた当初は15人の大所帯で行動することとなり、私としても15人をコントロールすることは非常に難しいと感じていた。なので、2隊に分かれて分隊行動することでそれを克服しようと考えた。しかし、全体での判断業務はすべて全体のリーダーに一任されていたので、どこから各隊のリーダーに一任するか、どこまで全体のリーダーに一任するかその線引きが非常に難しかった。ただ、部会で綿密に話し合った結果、ある程度まとまった結論が出たように思える。

そんな中、10月に小林が冬山に参加できないと訴えた。どうやら彼はクライミング中に4m落下してヘルニアになったそうだ。昨年まで積極的に活動していて、副主将として私をサポートしてくれた彼が離脱するのは山岳部にとって大きな痛手であった。ただ、それでも蔵王縦走は予備山行をこなしていれば完遂できると思い、前に進もうと考えた。

そして、12月になり初冬合宿を迎えた。無事岩手山を登頂することができ、全員で登頂することの意義を見出せた。後輩からも登頂してよかったという声を聞いたときは素直にうれしかった。ただ、課題は多く残った。特に際立ったのは分隊行動におけるリーダー層の連携が取れていなかったことであろう。分隊行動は難しいのではないかという意見もあったが、僕はまだ全員で蔵王縦走を完遂したいという希望が残っていたこととまだ軌道修正できると思い、分隊行動の規範を再度改訂し、早池峰山に臨んだ。

冬合宿である早池峰山は中岳付近でのラッセルや踏み抜きに苦戦して、中岳で撤退した。今回の合宿は体調不良者が出て、10人1パーティーでの行動となった。ただ、これで動くとなるとどうしても先頭がどのように行動しているのか把握しきれず、マネジメントの難しさを痛感した。よって、これは分隊行動が必須であろうと思った。

新年に入り、物事が順調に進むと思った矢先だった。杉森が急性骨髄性白血病という診断を受けたのだった。この時、部員の中で大きな衝撃が広がっていた。確かに、杉森は初冬合宿・冬合宿では息切れが激しく、体力が落ちていると感じていた。だが、まさか白血病に罹っているとは思えなかった。しかしながら、白血病の致死率が10パーセント以下ということや杉森の体力ならば剣の事故のように回復してくれるだろうと我々は信じていた。

そう思いつつ、深夜1時に今週末の山行の承認メールを書いていた。そこに一本の電話が来た。荻野からだった。おそるおそる電話に出ると、重い口調で私にこう話しかけた。

「杉森は危篤状態でもう何日も持たない…」

私は動揺を隠せなかった。何もかも頭が真っ白でとにかくタクシーに乗り込み、杉森が入院している病院へと向かった。病院ではお母様が迎えに来てくださった。集中治療室に向かい、見た光景に衝撃を受けた。杉森は苦悶の表情を浮かべながら息絶え絶えだったのだ。目も開けられず、声も出すことができない…。人工呼吸器も取り外されてしまっている。思えば、彼と最後に会ったのは1週間前である。それは彼の元気な姿だった。本当に杉森なのだろうか、半信半疑であった。それでも、彼は懸命に息を吐き、私たちの言葉にもきちんと手を挙げてリアクションしてくれるのを見ると、私は杉森だと確信した。彼はこの状態でも力強く病気と闘って生きている、私は感動で言葉が出なかった。

その翌日も杉森のお見舞いに行った。そして、励ましの言葉を何度も何度も送った。皆、奇跡の回復を信じていた。私は「明日も頑張れよ!」と言って、病室を去った。僕が杉森に対して贈った最後の言葉だった。

1月23日早朝、杉森は亡くなった。死因は白血病による脳内出血とのことだった。白血病の中でも数パーセントの人は脳内出血をしてしまうそうだ。それをお母さまからお聞きして深い悲しみが私を覆った。ただ、これは受け入れなければならない事実だった。それでも、あまりにも急展開の事態に私は彼の死を受け入れることができなかった。どうしてもまだどこかにいるんじゃないかと思ってやまなかった。それは葬儀の後もそうだし、今でもずっと続いている。ずっと彼のことを考えるが、その結論を見出すことはまったくもってできなかった。

その後、僕の同期である室田が肺気胸を起こし、2月の山行は参加できないということとなった。3年生の人員が減り、蔵王縦走合宿を現行の計画のままでは実行できないという結論となった。また、私自身杉森の死に対するモヤモヤをどうしても拭いきれなかった。それを考慮して不忘山~雁戸山の3泊4日として計画されていたのを清渓小屋~雁戸山の2泊3日に縮小しての実施となった。結果的に7人で蔵王縦走合宿を完遂しようということになった。

ただ、私自身実施までにこのメンバーで実施できるのかという不安もあり、中止にしてもう部活を終わらせようとも思ったりした。先輩やカウンセラーの方々からの意見もうかがい、考えに考えたが、やはり行くことにした。それは私自身蔵王縦走合宿を乗り越えることによって何かしらの答えを見つけられるのではないかと思ったからだ。このつらい時期だからこそ乗り越える、ある程度成果が得られるものになるのではないか、そう思ったからだ。

結果的にこの蔵王縦走合宿は危なげなく完遂することができた。達成できたのはひとえに「人の大切さ」を私自身実感できたからではないかと思っている。メンバーが自分の役割を自覚し主体的に行動していたからだ。初冬合宿や冬合宿を通して一人一人成長がみられたと感じている。

また、蔵王縦走合宿を通じて自分自身も「人の大切さ」をしっかりと受け止めなければならないと思った。今回、コース・メンバーともに縮小しての実施となった。3年生が少なくなったことにより「人の大切さ」をまざまざと痛感してしまった。それはもちろんのことであるが一部の2年生・1年生が行けなくなってしまったことにより、どうしても13人で登った初冬合宿よりかは活気に欠けるなと感じてしまった。これも僕自身「人の大切さ」を痛感した瞬間であった。

一方で、私は「人」としてメンバーに対して接する機会が欠けていたのではないかと思える。振り返ってみると私は山岳部員をあくまで「部員」として接していたのではなかろうか、そう思えてくるのだ。「人」として接するとその人物の背景がわかり、どのような事情を持っているかということも鮮明にわかってくる。山に登る同志として「部員」として接するということではなく、「人」として接することに意義を見出さなければならないと思う。私は「人」として接するのをないがしろにしてしまったのではないかと杉森の逝去および蔵王縦走合宿で感じた。

杉森が亡くなって2週間後に蔵王縦走合宿が実施されたわけだが、人を誰も死なせずに済んだのは私としても安心した。人一人死なせずに済んだのは簡単なことのように思えるが、一つの判断を誤ると命にかかわる危険性もあるので実際のところ非常に難しい。私は杉森の逝去を通じてこれだけは胸に刻んでおこうと思った――山で絶対に死んではいけない――と。これを達成できただけで私は杉森に対して供養できたと思っている。(杉森にとっては一方的な話かもしれないが…)

最後に様々な「人」に感謝を申し上げたい。まず、蔵王縦走合宿だけでなく最後まで残ってくれた後輩たち。戦線離脱は多かったが、部会などでサポートしてくれた同期たち。そして、杉森が亡くなった後など様々なことでケアそしてアドバイスをしていただいた先輩の方々。私に生きるという指針を与えてくれた杉森君。本当にありがとうございました。

(松坂記)



樹氷の中を歩く