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上高地ー親不知縦走

参加者:CL松坂(3)、SL室田(3)、内山(1)、種谷(1)、山川(1)

8/28(1日目)

天候:雨

1300 上高地、入山

1350 明神

1450 徳沢、幕営

前日の夜に夜行バスで仙台を出発し,新宿を経由して丁度お昼ごろに上高地に到着した。今回の移動は18きっぷ+タクシーだった前回と違い,高速バスのみだったので楽だった。上高地は雨が降っていて,予報だとこれからしばらく前線が停滞する感じだそう。去年の縦走で前線に苦しめられた記憶が蘇ってきた。というか何でまた懲りずに長期縦走を立ててしまったんだろう。去年はもう長期はいいやと思っていたが,心のどこかで実質現役最後の年に長期山行に行かないというのはなんか寂しいという思いがあったのだろうか。こういう山行は計画を立てているときは楽しいが,いざ入山が迫ってくると嫌になってくる。でも嫌になってくるのも計画時から分かっているし,山行中にどのくらい辛い思いをするのかもそれはそれで楽しみではあるので,気持ちを入れ替えて出発の準備をした。

                         増水した梓川と河童橋の前で

そしていざ上高地を出発。長い長い山旅が始まった。観光客もいる中,馬鹿デカいザックを背負った5人が歩いてく。荷物は重かったが,初日は2時間平坦な道を歩くだけなので気が楽だった。あっという間に徳沢に到着。立派なロッジが建っていて,まだ下界の雰囲気がした。初日の夜だけは景気付けに豪華な飯ということですき焼きを食べ,明日への英気を養った。

8/29(2日目)

天候:雨

0330 起床

0440 発

0535 横尾

0655 一ノ俣

0735 槍沢ロッジ

0910 大曲

1020 天狗原分岐

1225 殺生ヒュッテ、幕営

起床。夏合宿の時よりも30分多く寝られてうれしい。朝食はスキムミルクとフルグラだったが意外と美味しく,すぐに食べ終わった。天気は前日同様雨。前線の影響で稜線上は強風が吹くということだが,我々が今日歩くのは谷の中なので問題ないということで出発した。ただ今日は重荷を背負って標高差1300mを登るという縦走中で一番辛い日になるかもしれない日であったのでちょっと気分が重かった。最初は昨日と同じく平坦な道を歩くだけだが,槍沢ロッジ辺りから徐々に登りとなってくる。雨は強くなったり弱まったりの繰り返しで,皆静かに淡々と登る。標高差はあるものの,ゆっくり進んでいったのでさほど疲れなかった。しばらくして森林限界を超えると風が強くなってくる。これは幕営予定地の殺生ヒュッテでテントが張れるかどうか少し心配になる。風雨は登るにつれて強まり,これによって体はどんどん冷えていった。特に休憩中はかなり寒く,自分は常に震えていた。風+雨は低体温症の危険が急激に高まるので,夏山といえども全く甘く見てはいけない。あと自分はこのとき芋けんぴを食べていたら右上奥歯に激痛が走った。奥歯は虫歯だったので今の衝撃で神経までダメージが及んでしまったのかと思った。舌で触るとズキズキ痛む。はぁ…。風雨による寒さに加えてこれから2週間歯痛に悩まされなければいけなくなるというバッドニュースが飛び込んできてテンションだだ下がりになった。そうこうしているうちに殺生ヒュッテに到着。とにかく早くテントの中に入りたかった我々はすぐさまテントを立てようとするが,ポールがうまく入らない。6テンはポールを端から入れたらちゃんと対角線上にある隙間に差し込まなければならないが,修正してもなぜかうまく入らない。皆寒さでおかしくなってしまっていた。やっとこさポールが入ってテントを立てることに成功。しかし今度はスペースが足らないことが発覚。他の場所に移さねばならないが,またテントをたたんで設営し直すのは今度こそマジでポールが入らなくなりそうだし,とにかく面倒くさいのでテントを立てたまま大移動する。しかし移動先も意外と狭く,張れそうになかった。ならばあっちはどうだとさらに大移動。2回の引っ越しでなんとか張れるスペースを見つけた。傍からみたらかなり滑稽な大移動だった。すぐさま空焚きパーティをして暖をとる。全身濡れてしまっていたが,乾かしたり,ご飯を食べたりしているうちに元気になってきた。ただ寝る前にテントで男供だけで話しているときに,トイレから戻ってきた山川を外で待たせることになってしまった。本当に申し訳ない。それにしてもこんな辛い状況だったのに1年生みんな誰一人もバテることなく登ってきてすごいなと思った。やっぱり歩荷トレーニングの成果がよく表れていたんだと思う。

雨の槍沢

8/30(3日目)

天候:雨

停滞日

今日は雨でさらに稜線上の風が強い予報だったので停滞することにしていた。こんな天気で稜線上を歩いたらすぐ低体温症になって,トムラウシ山の遭難事故みたいに発狂しながら野垂れ死ぬことになり兼ねない。というわけで急に暇になるわけだが,こういう時やることといったら,昼寝をするか,本を読むか,トランプをやるか,行動食をちびちび食べるか,下衆な話をするか…ぐらいしかない。でもやっぱりみんなで楽しめるということでトランプをすることになった。トランプは軽いし色んなゲームで遊べるので長期山行には欠かせない。やるのはやっぱり大富豪。まだ縦走3日目ということもあってローカルルールは少なめだった。しばらく楽しんだのち,飽きてきたのでババ抜きもやった。最下位の人はすべらない話をするということで1年生がそうなった(故意ではない)が,あきらの話は「内山だよ‼」というオチの一言だけが記憶に残っていて,肝心の話の内容は全然覚えていない…。また今日からは前日の反省を踏まえて,男共の話は時間制になった。ちなみにだが自身の歯痛はこの頃にはもうほとんど収まっていた。これで安心して縦走に集中できる。よかった… (室田記)

行動食を食べながら大富豪

8/31

天候:晴れ

0330 起床

0430 殺生ヒュッテ 発

0520 槍ヶ岳山荘

0550 槍ヶ岳

0620 槍ヶ岳山荘

0650 槍ヶ岳山荘 発

0740 千丈乗越

0850 左俣乗越

1120 樅沢岳

1150 双六小屋

1300 双六岳

1355三俣蓮華岳

1450 三俣山荘 幕営

 朝3時半起床、眠い目をこすりながら支度をする。朝ごはんを食べながら夜ご飯のことを考える。早くも長期縦走に染まる。4時半、定刻通り出発、前日の停滞もありやる気は十分。

 槍ヶ岳山荘に着く、あたりは霧に包まれている、無論、槍の山頂は見えない。少し意気消沈しながら槍の頂に向け出発。

 槍の頂上へ着く、晴れた。下界を見るとどこまでも見える、ついでにブロッケン現象も。隊員のテンションは爆上がりである。記念に写真を幾枚かとり、下山した。ただし、やり山頂から今後踏破して行く山々を見て多少なり怖気付きそうになったのは内緒である。

 槍のゴツゴツとした男らしい風貌から一転、稜線上は実に優しい風貌をしていた。朗らかな陽気に包まれ、気持ちの良い道が続く。ずっと歩いていられるような気がした。

 現実はそうもいかない。千丈乗越を超えてからは、アップダウンが多くなる。朗らかな陽気は今はただ暑いだけである。綺麗な景色を見ながら次の休憩時間を思う。この辺から隊員の口数は徐々に少なくなって行く。まぁ、三俣蓮華岳付近で逆に騒がしくなるが。

 双六岳は非常に気持ちの良い山だった。頂上へ付近にだだっぴろい鞍部がある。空を近く感じこの世では内容な風景である。頂上は開けており、やはりどこまでも見える。槍を遠くに見て進捗を感じる。

 三俣蓮華は特に特筆することはない。昔、東北大山岳部では、劔合宿ののち三俣蓮華に経由で親不知まで抜けていたというのだから驚きが隠せない。

 三俣山荘が見え、隊員は騒がしくなる。最後の力を振り絞り、山荘へたどり着く。テントを張り、前日の雨で濡れた荷物を乾かし、お茶を飲む。振り返りは終わりである。

 4日目、まだまだ先は長い。

9/1(5日目)

0330 起床

0500 三俣山荘 発

0630 鷲羽岳

0800 水晶小屋

0840 水晶岳

0910 水晶小屋

0940 東沢乗越

1110真砂分岐

1150 野口五郎岳

1330 三ッ岳

1430 烏帽子小屋 幕営

 起床後すぐに支度をする。前日の疲れがは少し残っている。テントの外に出ると、ドンと偉そうに鷲羽岳が見下ろしてくる。その頭いつか踏んづけてやるからな、と鷲羽山頂を睨みつけ、クライムオン。

 トップに三年生に据え計画より巻きで山頂へ。天気は晴れ、どこまでも見える。記念に一枚パシャリ、山頂を後にする。

 稜線上をいき、水晶小屋へ。ザックをデポし、水晶岳山頂を目指す。どうでもいいが、ザックを下ろした直後は歩き方がわからなくなる。体軽すぎだろ。

 水晶岳山頂でA君のおふざけ写真を撮り、再び小屋へ。遥か先の烏帽子岳をみて愕然としながら、歩みを続ける。

 真砂分岐から先の景色は今までと異なり荒涼とした山肌が続く。もの寂しさをうっすらと感じた。

 野口五郎岳の頂上直下に立ち風の強さに驚く。真っ直ぐと歩けず、時に押し戻されるほどの強風だ。やっとの思いで頂上に立ったが、風による寒さのあまり、あまり感動はない。むしろ早く降りたい。隊員の意見が一致しさっさと山頂を後にする。

 烏帽子小屋は見えてからはすぐだった。最後の力を振り絞り起幕して終了。

 皆が徐々に狂気に飲まれていく。今思えばこの辺が転換点だったような気がする。

9/2(6日目)

天候:曇りのち雨

0330 起床

0450 発

0530 烏帽子岳

0640 南沢岳

0815 不動岳

1040 船窪岳第2ピーク

1300 船窪小屋、幕営

今日のコースはこの縦走の中で一番マイナールートだろう。マイナールートだけあって案の定道の状態は悪かった。

烏帽子岳までは順調に登高し、烏帽子岳から鮮やかな日の出が見られた。雲があるのもまた一興。ここで、烏帽子岳は他の山から見ると何に似ているかという論争が僕と白馬の間で沸き上がったが、それに関しては読者のご想像にお任せしよう。

烏帽子岳は、案外標高は低く、後立山連峰の景色を見ることはできなかった。一方で、南沢岳に到着すると、針の木岳と蓮華岳がどっしりと待ち構えていた。明日行く蓮華岳は標高差500mの登りであったので体力的にきついだろうなと思ったりした。

南沢岳付近を縦走しているとツキノワグマの子熊に遭遇した。子熊は我々を凝視しているかのように見えたが、我々は足早にスルーし、カラオケ大会を開こうとしたが、みんなのってくれなかった。子熊はこの一連の動きを見て何を思ったのだろう。

やはりこのコースは平日であったのもあるとは思うが、登山者がいなかった。ただ、船窪岳手前で第一登山者を発見した。その人は船窪小屋で宿泊したそうだが、その人以外宿泊者はいなかったそうだ。現に今回使った船窪小屋のテント場は1週間誰も利用者がいなかったそうだ。それほどマイナーな山域であることがここで痛感した。

また、船窪岳付近は長野側の崩落が激しく、山肌が大きく露出していることで有名である。そのすごさは写真でご覧いただきたい。(しかし、この崩落の激しさは登山口の高瀬ダムからの写真のほうが分かりやすいかもしれない。)

また、道の状態も悪い。一本だけ不安定につるされている丸太の上を歩いたり、ガレた斜面を下ったり登ったりと意外と難儀する。これは、高度感はないものの八峰キレットや不帰嶮に匹敵する技術的難易度かもしれない。

ただ、そんなこんなで七倉岳(種谷がなんで七倉岳なのに船窪小屋って謳ってるんだよって呟いていたが、確かにその通りだと思った)の200mの登りを終え、船窪小屋近くのテント場に着いた。テント場と船窪小屋は20分程度離れており、受付は翌日に済ますことにした。船窪小屋の水場は、アプローチは悪かったが、水は非常にうまかった。後立山連峰の水場は総じてなく、すべて小屋で天水を購入せざるを得ないのだが、ここだけは水場があり、縦走するにはかなり貴重であった。

ちなみになのだが、ここのテント場で衝撃的(?)なことを聞いてしまった。その話題は約1年間知らなかったことだったので、僕は少しむなしさを覚えた。また、ある人が伝説化され、その話も縦走でしか笑えないのだなとつくづく思った。

9/3(7日目)

天候:曇り

0430 起床

0550 発

0815 北葛岳

1040 蓮華岳

1130 針ノ木小屋、幕営

この日は行程が短かったため起床を遅らせた。早速準備を終え、針の木小屋へと向かう。一応曇りという記録であるが、高曇りという感じで日の出も見れたし、剱岳も見渡せた。

ここから人も多くなっていき、様々な方々とすれ違った。中には大学山岳部の方ともすれ違った。僕が「か、上高地から、き、来ました…」と震え声で発しても、その人は「すごいですね!」と適切に対応してくれた。そう、もう7日目なのである。十分、山に浸かっている気はするが、長い旅もまだ半分なのである。いや、もう半分なのかもしれない。訳も分からず感慨に浸っていた。

さて、今日の大一番、蓮華岳の標高差500mの登りにやってきた。ただ、ここの登りもそこまで時間がかからず、1時間半で登ってしまった。意外とあっさりだった。最後は、「蓮華の大下り」と言われる場所でガレているのだが、問題なく登った。

そこからも特に問題なく針の木小屋に到着した。

9/4(8日目)

天候:雨のち曇り

停滞日

前日の方針でこの日は種池山荘までコマを進める予定だった。そして、その翌日に冷池山荘まで移動し、1日行動する行程を2日間に分けようと思っていた。ヤマテンの予報でもこの日は曇りのち晴れだったからだ。

しかし、起床すると、雨が降っていた。しかも、雨雲レーダーを見てみると積乱雲が通過しているじゃないか。どういうことだと思ったが、とりあえず様子を見ることにした。だが結局、しばらく雨が降ることを考えて今日は休息を兼ねて停滞を決定した。

日が昇って改めてヤマテンを見ると、大荒れ情報が掲載されており、予報も修正されていた。ヤマテンは「天気予報を外してしまい申し訳ありません。」と陳謝していた。こんなことあるのだと失笑してしまった。

だが、朝9時から雨が止み、視界も開けてきたので、外に出て昼寝をした。毎回、停滞日というものはテント内でじっとして大自然の脅威を避けなければならないのだが、今回は優雅に過ごせた。

朝9時になると某R大学山岳部が針の木キャンプ場にやってきた。彼らは針の木雪渓を詰め、明日から親不知を縦走するらしい。我々と全く一緒の行程だった。彼らがどうなったのかは次の山行記担当者にお任せしよう。

それはそうと明日への英気は養えた気がする。おやすみなさい…。(松坂記)

9/5(9日目)

天候:霧のち曇り

0300 起床

0410 発

0455 針ノ木岳

0535 スバリ岳

0705 鳴沢岳

0835 新越山荘

1015 種池山荘

1045 爺ヶ岳

1155 冷池山荘、幕営

 3時起床。前日は停滞日だったこともあり、あまりよく眠れなかったが、さっさと準備をする。

 4時10分出発。まだ、周囲は暗く、後方をR大さんが歩いており、なんとなく落ち着かない。

 4時55分、針ノ木岳。写真を撮っていただき出発。ひとまず下りとなる。ややガレていて、少し下りづらい。

 5時35分、スバリ岳。あまり書くことが思いつかない。確か、私はここら辺で、読図を外し、T君にかなり煽られた。(まあその後、違う場所での読図で煽り返したのであるが、、、)また、この道中では動物のフンが3メートル間隔ぐらいで落ちており、匂いと足場に悩まされた。

 7時05分、鳴沢岳。もしかしたら、上記の出来事は、ここから新越山荘まででの出来事だったかもしれない。確かフンは、こちらの方がひどかった気がする。

 8時35分、新越山荘。山荘の人に話しかけられる。上高地から親不知まで行く人は割といるようだ。ここのぜんざいかなにかが、山にしては安価で魅力的だった。また、ここからの道中、猿の群れに出会い、威嚇された。あと、猿の群れとは全く関係ないが、種池山荘までのペースが凄まじかった。

 10時15分、種池山荘。通過。爺ヶ岳へ。

 10時45分、爺ヶ岳。間近に見える冷池山荘を見て一息つく。15分ほど休み、出発してすぐ、熊が大好きな外国人のおじさんに捕まる。至近距離から撮影した、熊の写真を見せられ、熱弁をふるわれる。山さんが対応。無事乗り切る。

 11時55分、冷池山荘。すれ違った女の人から下界の匂いを感じ、自身のヤバさを実感した。余談だが、ここのテント場で出会った高専1年の人と話した際、「もはや、長期縦走じゃなくて、狂気縦走ですね。」と言われ、自嘲を含めて皆で笑ったのも今となっては良い思い出である。

9/6(10日目)

天候:晴れのち霧

0300 起床

0420 発

0600 鹿島槍ヶ岳

0645 鹿島槍ヶ岳北峰

0815 キレット小屋

1010 北尾根の頭

1155 五竜岳

1245 五竜山荘、幕営

この日も午前3時起床。今日はついに八峰キレットを通過するので、やや緊張しながら朝を迎えた。冷池山荘はトイレが遠いのが難点だ。

午前4時20分、出発。良い天気で、雲海を右手に見ながら登る。

午前6時、鹿島槍ヶ岳山頂に到着。久しぶりの百名山。景色が良く、はしゃぐ。

午前6時45分、荷物をデポして、鹿島槍ヶ岳北峰へ。景色は変わらず良い。南峰から手を振っている人がいて、みんなで振り返した。ここからいよいよキレットへ。鎖場や梯子が連続し、慎重に通過。

午前8時15分、キレット小屋着。一息つく。ここから先の登山道も岩場の連続で気を抜けない。このキレット小屋から、すぐそこにあるのになかなか着かない五竜岳山頂までの道のりが割ときつかった。最後の登りは、奇声を上げながら登り、思い返すと恥ずかしい。

午前11時55分、五竜岳着。我々の他にも二つの山岳部が来ていた。山本さんが、研修会で一緒だった人もいて、しばしば山本さんの話題になった。その後は順調に下山し、午後0時45分、五竜山荘についた。五竜山荘の「山が好き、酒が好き」Tシャツが欲しかったが、売り切れており、買えず、残念だった。

9/7(11日目)

天候:快晴

0300 起床

0415 発

0625 唐松岳

0830 不帰キレット

1015 天狗山荘

1115 白馬鑓ヶ岳

1215 杓子岳

1315 白馬頂上山荘、幕営

 今日も3時起床。4時15分に出発した。この日も天気が良く、まだ暗いうちは下界の夜景が見えた。ペースは、快調に飛ばした。岩場では、雷鳥をたくさん見ることができたが、徐々にありがたみに欠けた。

 午前6時25分、唐松岳着。不帰キレットを望む。本縦走の核心(実はこの後、裏の核心で地獄を見ることになるのをこの時はまだ知らなかった。)であり、少しドキドキした。

 午前8時30分、不帰キレット。鎖場の連続で気が張った。通過した時は一種のやりきった感を感じたが、天狗の大走りを登ることを思い、気が重くはあった。この登りで、ストックを、使わずに担いで登っているものがいたが、それはまた別の話である。

 午前10時15分、天狗山荘。このあたりから徐々に疲労がたまる。白馬鑓ヶ岳の登りはガレガレしていて、精神的にきついものがあった。

 午前11時15分、白馬鑓ヶ岳。白馬三山の一つであり、白馬さんが写真を撮る。この後の杓子岳が、本縦走の裏の核心であった。

 午後0時15分、杓子岳。ここから見た、白馬岳頂上宿舎が本当に遠く、先が思いやられた。しかし、途中の登りで、おじさん、おばさんグループに、「すごい荷物だ!!」と口々に言われ、やや復活。「豚もおだてりゃ木に登る」とは、まさしく私のことで、足取り軽く、午後1時15分、白馬岳頂上宿舎に着いたのだった。

9/8 (12日目)

天候:快晴

0430 起床

0540 発

0610 白馬岳

0830 雪倉岳

1010 水平道分岐

1130 朝日小屋、幕営

凄く良い一日だった。怒涛の杓子岳登りで皆お疲れ気味だったので、予定よりも一時間遅く起床(優雅~)。出発して間もなく本日のメインディッシュの白馬岳に到る(実によく整備された登山道だったな、はっはっは)。白馬三山を完全制覇された白馬先輩は今世で思い残すことはもう何もないでしょう。あれが雪稜バリエーションルートなんだよ(痩せ尾根じゃん、怖(笑)と思った)と三年生お二人に教えていただきながら、360度の快晴大展望の中で写真撮影。

(白馬と雪倉の間の)鉢ヶ岳に行くまでに外国人観光客とチラホラすれ違った(中国系が多かったかな)。中には普通の私服で日傘を差しながら歩いている人もおり、二週間近く風呂に入っていないボロボロの我々とは対照的だった(どうせあいつら臭いって思われたんだろう)。

八ヶ岳と雪倉岳避難小屋の間のコルで一休みして(のどかな草原だった)、ホイホイと200mほど登って雪倉岳へ。白馬岳が百名山なのは勿論であるが、雪倉岳も二百名山なのだ。だから今日の登山は労力のわりに美味しいぞーい(笑)

水平道分岐からは、樹林帯の中で小さなアップダウン(等高線に現れるか現れないかのアップダウンと開けない視界のせいで私は地図読みに難儀しました)や木道が続き、結構暑かった。途中、水が湧き出ている箇所があり、ここぞとばかりに喜んで顔面をびしょ濡れにしておる輩もいた。そして12時前に朝日小屋に着く。

このテン場は水場(そもそも水道)もトイレも綺麗で、それよりも鱒寿司が売られていることに驚いた(朝食や行動食にいかがですか~ってテン場内にスピーカーでアナウンスしていたのは笑った)。恒例の大富豪をした後、夕飯の高野豆腐カルパスカレー。みんな寝ているのにヘッドランプで食い入るように文庫本を読むのすけさん、そんなに面白い本なんですね(笑)

9/9(13日目)

天候:雨のち晴れ

0500 起床

0620 発

0710 朝日岳

1005-30 黒岩平

1115 黒岩山

1515 中俣新道登山口

1730 小滝川ひすい峡、下山

悪天候のため、天気の回復を期待して遅めの出発。しとしと降り続く中、朝日岳に登頂するも皆のテンションに変化はない(笑)。そして栂海新道分岐の吹上ノ千代を過ぎる。そこから私が怪我をするまでの道が幻想的で凄く良かった。開けた草原の中をゆるやかに木道と整備された登山道が続き、長栂山を左手に鏡のように美しい照葉ノ池。雨も止んできて白く曇る中歩き続ける。綺麗に晴れているよりもこのくらいの天気のほうが映えるななんて思ったりもした。なだらかな起伏と綺麗な植生に包まれながらアヤメ平を過ぎる(小さな池がいくつもありこれもまた良かった)。そういえばあの時、美味しい行動食を食い尽くしてしまい、フルーツグラノーラしか残っていなかった(自業自得)。

黒岩平付近で事態が一変してしまった。なんと階段でうっかり滑ってしりもちをついたと同時に、階段に固定されていた鉄の棒が足に刺さってしまった。傷が深かったため、黒岩山から入れるエスケープルートの中俣新道を下りることになった。素早く的確な判断をしてくださった三年生と応急処置をしてくださった他の一年生に本当に感謝しています。不帰ノ剣も裏ボスの杓子岳も乗り越えたのに最後の最後で日本海断念となってしまい本当に申し訳ありません。それに尽きます。

中俣新道、これがまたなかなかの曲者であった。山と高原地図ではしれっと正式な登山道として記載されているのだが、実際は荒れに荒れていたのだった(笑)。急な下りが続き、(親切な登山道を作る気が無かったのとほとんど人が通らないという理由で)道は狭く植物が生い茂っていた。私の装備を皆さんに分担して持っていただいたので、荷物が重く尚更大変だったと思う。本当にありがとうございます。

中俣山山頂は全く視界が開けておらず、ボッロい看板が転がっていただけだった。あと何時間で下界に着くヨォ!ラーメンラーメン!藪漕ぎみてえだナァ?と謎にテンションが上がって狂っている部員達のおかげで元気が出ました。私自身、こんなシチュエーションでなければこういう登山道も嫌いじゃないのでまたいつか中俣新道に行きたいなどと考えていたので私も狂っていたのかもしれない。

中俣小屋を過ぎてからは、水が岩の上を流れている沢?滝?が登山道だった。15時過ぎに中俣新道登山口に着くもタクシーが入ってこられないのでまた歩き続ける。川の横手をひたすらに歩くのだが、コンクリートの人口道と自然の登山道が交互に出没し、一体いつ辿り着くのだろうという不安(追い詰められた時独特の楽しさもあったが)でいっぱいだった。登山口から8㎞程の所に大きな土砂崩れがあり(後で知ったけどこれが理由で実は中俣新道は通行止めだったんだと)、しかし、引き返すわけにもいかない。滑り落ちたら川、という土砂崩れの上を皆で慎重にトラバースした。

日も暮れる頃にヒスイ峡フィッシングパークの駐車場に着くもタクシーあらず。電波もあらず。種谷君はその前くらいから何かを悟り、三年生方にあとどのくらいで着くのか質問するのを辞めたらしい。ひすい峡の看板地図を頼りに展望台まで移動するもここも電波あらず。皆のスマホを集めて(携帯会社の数が多いほうが電波が入る確率が上がるから)電波がある所まで歩いてみるよ、とのすけさん。その間に我々はトイレの水を煮沸してココアを入れた。しばらくしてのすけさんが戻ってきた。タクシー会社と連絡が取れた。本当に良かった。荷物整理が終わってからタクシーが来るまで、暗闇の中で我々は地面に座り込んでカップ麺をボリボリかじりながら大富豪をしたのであった。(山川記)

総括

昨年も北アルプス縦走を実施した。昨年は半分以上が雨であったが、12日間の縦走でかなり充実したものとなった。今年も同じような縦走をしたいという思いが湧きあがったのは4月の話であった。それまで私は長期間の縦走に関してはもうこりごりだと思っていた。長期縦走は今の2年生に引き継いだと自負していたからだ。しかしながら、北アルプス総図を見てると突然、上高地から日本海まで山々を渡って歩きたくなってしまったのだ。そのことを同級生である白馬くんに報告すると、「いいね」と一言。それがこの計画の始まりだった。

上高地~親不知(日本海)縦走の日数を計算した結果、実働12日・総歩行時間112時間という壮大な時間となった。これは昨年の燕岳~室堂の縦走が実働9日・総歩行時間80時間であったためそれを優に超すという過酷なものであった。さらにこの縦走はピストンする箇所が少ないため実質カットできないということも過酷さを増していた。「私は雨男である。」

私はこれまでずっとそう自分に言い聞かせていたため、この縦走も雨を覚悟していた。よって、予備日も異常と思える6日間を設定した。

2年生を誘ったら行く人はいなかった。しかし、1年生を誘うとなんとほぼ全員がこの縦走に名乗りを上げた。ほぼ全員が参加したいという事態は我々の想定外であった。1年生に対して熱烈に宣伝していた槍穂縦走の青柳が哀れに思えた。他の3人の1年生は日程の都合があったためこの縦走には参加できず、結局3名の1年生がこの縦走に参加することとなった。

しかし、個人の“歩荷”力を上げなければ簡単に縦走には連れていけない。そこでこのパーティーだけで毎週歩荷を実施した。最終的には上級生が40㎏、1年生は35㎏を背負って3時間ほど動くことはできた。女子の山川に至っては30㎏を背負って歩荷していたので、皆縦走に向けてかなり準備は整っていると感じた。

食糧計画やルート研究も1年生に任せたのも正解だった。生憎この縦走に2年生の参加がなかったので、渋々1年生にお願いしたわけだが、彼らも期待に応えて練りに練った案を持ち出してくれた。

上高地につくとそこは雨が降っていた。しかもこれから秋雨前線が停滞する予報。私はとにかく不安だった。雨で1年生が精神的に崩れないか。また、何か致命的なミスをしたらどうしよう。ましてや昨年の縦走経験、しかもリーダー層が3年生であるということから完遂して当然だろうというプレッシャーが私の心の中で渦巻いていた。かなり準備してきたはずだが、それでも不安は癒えなかった。それが私の入山時の心中であった。

だが、結果的に雨に降られたのは1~3日目で、そのうち行動したのは1,2日目であったのでかなり天気に恵まれた山行となったのは間違いない。槍ヶ岳の景色は昨年に続きこの上ないものであったし、後立山連峰から見る剱岳の景色は圧倒させられた。今年の夏の山行は天気を味方につけられたといっても過言ではないだろう。

今回、栂海新道で山川が怪我をして途中のエスケープを利用して降りたが、良い判断であったと我ながら思った。エスケープルートの下調べができていなかったのは反省ではあるが、山川をその日のうちに病院に送れたのは幸いであった。あと1日歩けていれば親不知(日本海)というゴールに到着していたので悔しさがこみ上げてくるが、その日のうちに病院に向かえたのは対応としては良かったと思う。1日違えど、破傷風などのリスクも大きくなってしまうからね。

1年生はこの13日間よく歩けていたと思う。途中危険箇所もあったが、よくこなせていたと思う。また、天気が良かったとはいえ誰一人弱音を上げる者がいなかったのも私としては率直にうれしかった。これも歩荷の成果であったかもしれない。そして、何よりも一緒に計画を立てた白馬にもここで感謝を申し上げたい。リーダー層として良いサポートをしてもらったと思っている。

このパーティーは大健闘したのだと皆さんを褒めたたえたい。(松坂記)

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