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北アルプス縦走(2018/08/31~09/11)

参加者:CL松坂信之介(2)、SL室田白馬(2)、青柳嶺(1)、一色智仁(1)

8/31 曇りのち雨

0400穂高駅、起床

0445発

0555中房温泉

0940合戦小屋

1110燕山荘

9/1 雨一時曇り

停滞日

0600起床

1030発

1100燕岳

1120燕山荘

9/2 曇りのち霧

0330起床

0445発

0745大天荘

0800大天井岳

0900大天井ヒュッテ

1130ヒュッテ西岳

9/3 霧のち晴れ

0330起床

0445発

0545水俣乗越

0755ヒュッテ大槍

0850槍ヶ岳山荘

0915槍ヶ岳

1025槍ヶ岳山荘

1430双六山荘

9/4 霧のち晴れ(午後から大雨)

0330起床

0440発

0640三俣蓮華岳

0815黒部五郎小屋 小屋泊

9/5 霧のち晴れ

0400起床

0800発

1000黒部五郎岳

1145黒部五郎小屋

1215発

1420三俣山荘

9/6 晴れ

0330起床

0440発

0550鷲羽岳

0750水晶小屋

0825水晶岳

0920水晶小屋

1145雲の平キャンプ場

9/7 雨

0330起床

0615発

0840薬師沢小屋

1105太郎平小屋

1135薬師峠キャンプ場

9/8 雨

停滞日

9/9 雨

0230起床

0335発

0500薬師岳山荘手前、撤退決定

0555薬師峠キャンプ場

9/10 雨

0530起床

0800発

0915薬師岳山荘

1005薬師岳

1240スゴ乗越小屋

9/11 晴れ時々霧

0300起床

0405発

0540スゴの頭

0700越中沢岳

0905五色が原山荘

1100獅子岳

1315一の越

1355室堂、下山

 

<プロローグ>

 どうも松坂です。僕は仙台に住んでいるのですが、北アルプスのことが大好きです。なんで仙台に来たのでしょうか。まあ、いろいろあって北アルプス縦走を実現することができたのですが、最初に経緯をお話ししましょう。

まあ、まずは北鎌尾根に行きたかったわけです。僕は槍ヶ岳には数回程度行かせてもらっていたので、北鎌尾根に行ってみたいなぁ~って気分で思っていたわけなんですが、まあ当然2年生がリーダーで行くことは厳しいことを上の方々から言われたため断念。どうしようかなと思っていた矢先、白馬さんから縦走がしたいという話があったので、まあ僕も長期間の縦走は未経験だったのでやってみたいなという意志がわきました。

 縦走という話があったのが5月。それからいろいろありました。

 まずコースです。皆行きたいところがありすぎて、ずっと決まりませんでした。一時は水平歩道に行きたいという話でしたが、縦走最終日に行くのはいける確率も低いし、行くのもリスキーだとしてやめました。それは最終的には吉と出ましたが。結局決まったのは7月下旬です。

 次にメンバー。特に1年生が決まりませんでした。3人行きたいと言っていたのですが、マネジメントの関係で2人に絞らせていただきました。行きたいと言っていた1年生には本当に申し訳ないのですが。あと僕が10日間歩きたいという頑固な部分を押し切ってしまい、2年生も1人行かないということになってしまいました。すみません。(松坂記)

 

8/31

 前日の夜は雷雨に見舞われて穂高駅前でステビバしていた我々だったが、雷恐怖症の僕は怖くて全然眠れなかった。当日朝は曇りで午後からは悪くなる予報だった。本来はバスで行く予定だったが、早めに行った方がいいということになり、駅前に停まっていたタクシーに乗って中房温泉に向かう。道中車内で寝ようと思ったが結局寝むれず、駅から1時間くらいで到着した。ついに登山口に着いてしまった。寝不足による頭痛も相まってやる気の無さが最高潮に達した。

 自分たちで立てた計画のくせになぜこう直前になるとモチベーションが下がるのだろう。そうは言ってもここまで来たら登らない訳にはいかない。なんとか気持ちを入れ換えて出発した。こうして10日間以上の長い縦走が始まった。

中房温泉登山口にて

 初日に登る合戦尾根は北アルプス三大急登の一つに数えられているが実際は大したことはなく淡々と進んだ。ザックの重さは一人あたりだいたい28kgぐらい。長めの縦走にしてはだいぶ削れたと思うが、やっぱりいつもよりかは重い。道中、案の定すれ違うおじさんおばさんたちから「すごい荷物だね」、「どこまで行くの?」と聞かれた。「室堂まで」と言ったが、一瞬「はっ?」とされた。それもそうだ,こんな所から室堂に行くって言われても距離が離れすぎててよくわかんなかったのだろう。そしてこの時,七日目に使う室堂ポーズの原型ができあがってきたのだった。

 その後も順調に進み,合戦小屋をこえ,いよいよ高山域に入ってきた。しかしこの頃から寝不足だった僕は疲れてきてしまい,ペースが少し遅くなってしまった。二年のくせにバテ気味になるなんて情けなかった。そうこうしているうちに燕山荘のテン場についた。すぐにテントを立てて,ようやっと一息つくことができた。

燕山荘のテン場

 

9/1

 この日は前線通過ため停滞と決まっていたのでゆっくり7時過ぎくらいに起きた気がする。ぐっすり快眠できてよかった。起きてからはやることもないのでひたすら大富豪をやった。まだ初日なので十分楽しめた(この後縦走が終わるまで300回くらいはやったと思う)。停滞としていたが,雨が小降りになったのでその間を見計らってサクッと燕岳までピストンした。その後もずっとテントの中にいたが,隣でテントを張っていた女子山岳部(ワンゲル?)のことが気になってしまう我々であった。

ガスの中の燕山頂

 

9/2

 1日の停滞を経ていよいよ今日から稜線歩きが始まった。始めは曇りではあったが,槍や剱など北アルプスの山々を見ることができ,士気が上がった。表銀座という超メジャールートだからもっと人はいるだろうと思っていたが,実際すれ違ったのは数組しかいなかった。この日は何事もなく進み,大天井岳を登った後,そのままサクッとヒュッテ西岳についた。ヒュッテ西岳のトイレは使うたびにお金を払わないとテン場を追い出されるらしい。それはさぞかし綺麗なトイレなんだろうと思った。テン場は最初我々しかおらず,その後も一組しか来なかった。そして燕山荘で隣に張っていた女子山岳部は結局あそこ以外で見かけることはなかった。どうやら常念岳の方とかに行ってしまったのかもしれない。結局気になるだけで終わってしまった。

大天井岳山頂にて

 

9/3

 今日はいよいよ今縦走最高地点である槍ヶ岳に登る日になった。天気はいい予報だったが,朝のうちは霧が出ていてちょっと雨も降っていた。そのため東鎌尾根のハシゴや岩は少し濡れていたが,慎重に問題なく通過した。途中首都大山岳部とすれ違い,別に話がはずんだわけでもなかったのだが通り過ぎた後,休憩中にのすけが発した「ロォォォオオオーープ!」という雄叫びになんと反応して返してくれた!ロープ巡礼が順調に進んでいることに満足しつつ,我々は槍ヶ岳を目指した。途中から次第にガスの中になり,槍ヶ岳山荘に到着したころには辺りはほぼガスに包まれ,穂先は見えなかった。そんなに期待はしていなかったが,やはりせっかく来たのにガスっているのはちょっと萎える。サクッと行って帰ってこよう。そういって空身で登り始めた。しかし,中盤のハシゴを登っていた時だろうか,ガスの隙間から日差しが差し込んできた。こうなると俄然テンションが上がってくる。高鳴る気持ちを抑えつつ最後のハシゴを登りきった刹那,なんということだろう,我々が登頂したとほぼ同時に周囲のガスが取れて展望が開けたのである。360度大パノラマ。北は後ろ立山連峰やこれから目指す薬師岳や鷲羽岳など北アルプスの雄大な山々がはっきり見え,南側も穂高やその遠く,乗鞍や白山の方まで見えた。あまりの出来事に自分たちよりも少し先に山頂に立っていた男性もかなりのハイテンションになっていた。チラッと山荘の方を見ると,穂先のガスが取れていることに気づいた人たちが大急ぎで登ってくるのが分かる。記念撮影や風景の撮影をしてしばらくの間余韻に浸った。そしてかなり長居した後,名残惜しく山頂を後にした。

穂高岳方面

山頂でも「ロォォオーーープ!」

 槍ヶ岳からはその西側に伸びる西鎌尾根を進んだ。最初こそガスっていたが,次第にそれも取れ,北アルプスの雄大な光景が広がった。特に北側に伸びる赤々しい硫黄尾根が目を引いた。自分がまさに見たかった景色が見られてとても楽しい稜線あるきとなった。

 この四日目はロープ巡礼,槍での奇跡,雄大な景色の中縦走と,とても充実した一日になった。そして,これからの縦走中盤,後半戦にかけてのやる気が高まった一日でもあった。しかし,我々はまだ,この後苦痛の日々が続くとは予想だにしていなかった。(室田記)

 

9/4

 朝、アンドロイド独特のアラーム音で目を覚ます。山でしか聞かないこのメロディーが僕を自然と戦闘モードにし、気合を入れ、眠気も吹き飛ばしてくれる。台風が接近しているせいか、今日はいつもより気が引き締まっていてテンションがたかい。何を隠そう、僕は強風にさらされるのが好きである。いや、山をやる人が強風好きなのはなんだか危険な気もするが、Satoshi師匠も強風が好きだと昨日のすけさんに聞いたばかりである。登山者で強風好きはアリなのである。朝食を食べながら、台風とのバトルを想像し、緊張が高まってゆく。いったいどんな強風にさらされるのだろうか。

おおおお、たぎってきたー!!!

テント撤収後、黒部五郎小屋を目指して、双六小屋を後にする。だが、思っていたよりも風は強くない。(0440)

前日に見た天気予報によると、台風接近のため、1200には黒部五郎岳山頂で風速が25m/hを越すとのこと。時間短縮、および稜線上での強風が懸念されたため、双六岳登頂はカット。巻道ルートでまず三俣蓮華岳を目指す。

登山道は尾根の風下側のため風の影響もさほどなく、順調なペースで三俣山荘と蓮華岳への分岐まで来た。最後にこの急登を登れば三俣蓮華登頂である。しかし、強風を期待していた僕にとっては拍子抜けであった。

朝、強風とのバトルを想像し滾っていた自分をあほらしく思いながら、最後の急登をたらたら上っていた。その時であった。猛烈な風に体を持っていかれた。体がよろめいた。

これである。私が期待していた風というのは。顔をにやけさせながら最後の急登を登ってゆく。

これだぜ、これ!!!こいよ、風!俺はお前には倒されない!おおお!!!お…お…おおおっとっと。っぶねーーー。

体がよろけ、ついに地面に手をついた。

や、やるじゃねーか…

最初は楽しんでいた風が登るにつれ強さを増していく。いや、これはかなり強い。いや、白馬さんも一色さんも転びそうになっている。いや、この風の強さはシャレにならない。だんだんと不安になってくる。これは三俣蓮華だけに登頂できるのか。そろそろのすけさんが撤退!!と叫びそうなくらい風が強い。撤退の場合は三俣山荘に行くことが事前に決まっていた。撤退は下山日が遅くなるからいやだった。たのむ、もう少しだけ粘ろうぜ、のすけさん!

そして強風に耐え、何とか三俣蓮華岳に登頂。山頂では、本山行のキーワードである「ロープ」をみんなで叫ぶ。なぜこの場面でこの言葉を使ったのか、この言葉の意味は何なのか、説明したいところだが長くなりそうなので割愛する。

強風のためさっさと山頂を後にする。(0640)

ここから黒部五郎小屋までの登山道は再び稜線の風下側だったため風の影響はほとんどなかった。途中みえた、日本海と能登半島はなかなかに絶景であった。

また、個人的なことを報告させていただくと、黒部五郎への道中に、入山してから一度も出ていなかった五日分の排泄をした。僕の分身が山の一部となって僕が死んだ後もずっと残り化石化し未来の地球人に発掘されることを想像すると、恥ずかしながらうれしくなってしまう。我慢できなかったのだから仕方がない。ちなみに僕の化石は将来、鳥海山でも発掘される予定であり、この先二年ほどかけて全国に化石の種をまく予定であるが、未来人にはぜひ期待していただきたいものだ。

黒部五郎小屋に到着。(0815)

この日は台風をやり過ごすため、テント泊ではなく小屋泊。食堂で、みんなで大富豪をやり、それに飽きたら七並べをやり、それにも飽きたら、各々本を読んだり寝たりした。外の風はだんだんと強まり、窓がガタガタと音を立てていた。また時折、小屋が揺れた。

4時過ぎ。食堂において、豪華な小屋食を食べている他の登山者をしり目に、僕らは持参したバターしょう油ご飯をほおばりながら、他の登山者に聞こえるようにわざとらしく「うんまっっ!!!」を連呼した。そしてむなしい気分になった。だがそのひもじい感じが僕らの絆を深めてくれたような気がしてうれしかった。

寝袋ではなく布団に入った僕らは、その日は馬鹿話をすることもなく、眠りについた。まだ風は強く、窓がガタガタなっている。のすけさん曰く、明日には台風は過ぎ、黒部五郎岳にいけるらしい。

 

9/5

 朝、例のアラーム音で一度4時に起きたが、まだ風が強く、しばらく行動できそうにないため、5時まで寝た。布団で寝ただけあって昨日は熟睡できた。あまりに心地が良く、一度下界に降りてしまい、リセットされたみたいで残念だという話を皆でする。

 朝食後、風が弱まるまで待つ。小屋のテレビで、関空が水没したというニュース見た。しかし、山にいるせいかあまりやばさが伝わってこない。遠い異国のことのように思えた。

さて、風が次第に弱まってきたため、幕営装備を小屋にデポし黒部五郎岳を目指し出発。(0800)

山頂は雲に隠れていたものの、黒部五郎小屋周辺に広がる草原には太陽の光が降り注いでいる。時折、からだに吹き付けるさわやかなそよ風が気持ちい。右手には雲の平が見え、その奥に薬師岳がそびえたっている。思わず深呼吸をしたくなるような景色である。

絶景

 山頂へは稜線コースとカールコースの2つがあったが、稜線上では強風が想定されたため、カールコースにて山頂へ。

まず、森林の道をいく。昨夜の雨の影響で多くの沢ができており、軽い沢登を楽しむ。

森林を抜けると五郎名物のカールである。なだらかなカールのいたるところに岩がゴロゴロと転がっている。このような地形を「ゴーロ」といい、この「ゴーロ」を「五郎」に当て字したのが黒部五郎岳の由来である。とのすけさんが説明してくれた。

かなり速いペースで登り、山頂に到着。残念ながら天気はガスであった。自撮りが苦手な我らインキャ隊は写真を頼める人が周りにいなかったため、仕方なく、さえない表情で自撮りをした。

なんともさえない自撮り

 記念すべき瞬間である。なぜならこの写真は、近年、東北大学山岳部に台頭してきた、陽キャでないと自撮りができないというステレオタイプを持っている方々へ、我々インキャ隊が示したアンチテーゼとなったのだから。

そして再び五郎小屋へ戻り、デポしていた荷物を拾って三俣山荘を目指して歩く。僕の分身の横を通り、三俣蓮華岳のトラバースコースを通って三俣山荘に到着。

 飯などを済ませ僕が一番好きな時間がやってくる。山のゴールデンタイム、夕時である。

さて、三俣蓮華岳は長野、富山、岐阜の三県境に位置することからその名前が付けられた。どの方向方向を見てみ山しか見えない東には我々が通った表銀座、北には立山、西には雲の平と薬師、南には槍と穂高。

つまり北アルプスの真ん中である。そこに立っている自分を鳥になって空からみて見る。よい。何かこの景色と今の僕の気持ちに合う曲はないかと思い、脳内グーグルで「三俣山荘 夕方 歌」と検索するとRADWINPSの「夢灯篭、なんでもないや」がヒット。なるほど、君の名はの舞台、高山市がすぐそこだからか、場所にも時間帯にもピッタリな曲である。

北アルプスの真ん中で「君の名は」のサントラを聞くという贅沢。その余韻に浸りながらこの日は眠りについた。

 

9/6

 山はつとめて。黄金色に輝く山肌いとをかし。されど、その輝き、夕とは異なり。夕の山、濃い赤なりて、わが心、いとものわびしくさせにけり。そのにほい、終日に、いと似つかわし。

 朝の山、橙色なりて、わが心、やうやう元気になりゆくさま、朝日のぼり、やうやう白く成りゆく峰とおなじなり。

朝の山はいい。

鷲羽岳から見た朝の景色

写真は鷲羽岳に登っているときに撮ったものである。よい。

 さて、工学部の僕が少し理系チックな話をしよう。朝日と夕日では夕日のほうがより濃い赤である。なぜか。朝方は地球の自転方向が太陽の光が進んでくる向きであるため、光のドップラー効果で光の波長が短くなり、朝日はオレンジ色になる。逆に夕方は自転方向が太陽の光から遠ざかる向きであるため、波長が長くなり夕日はより濃い赤になる。

そんなことはわかっている。違うんだ。そういうscientificな話を抜きにしても朝日と夕日は明らかに違うんだ。心で感じるもんだろ?なんていうかこう、やっぱり趣が違うよなー。うーん、言葉ではうまく説明できないけど俺にはわかるんだなー。その違いが。デュフフフ。

こんな、思い返すと恥ずかしくなるような自己陶酔に浸りながら鷲羽岳を登っていく。

鷲羽岳山頂は富士山や八ヶ岳が見えるほど天気が良かった。

鷲羽から少し北に進み、水晶岳山頂。

天気は最高、どの方向を見ても山

 そして北には個人的に楽しみにしていた黒部湖がみえる。

〜回想〜

かつて中学生だった青柳少年は家族とともに黒部ダムを訪れたことがある。そしてそこから見えた名も知らぬ山々を見て思った。

俺もいつかあのスカイラインを歩きたい…

と。そして彼は今、かつて思いをはせた憧れの山の頂にいる。長年の夢がかなった瞬間である。

(ここでプロフェッショナル仕事の流儀の主題歌が流れる)

「もうね、山は僕にとっての人生ですよね。うん。僕にとってのプロフェッショナル?うーん、冒険心を忘れない心ですかね。はい。」

登山経験たったの5か月の登山ド素人初心者の僕がプロフェッショナルを気取った瞬間である。昔、憧れを抱いた山にいるのが素直にうれしかった。

カメラの角度を調節して、槍ヶ岳をアイスクリームに見立て、舌でなめているように見える写真を撮ったのもまた一興。

槍ヶ岳を舐める

 さて、水晶岳を後にし、日本最後の秘境と呼ばれる雲の平へれっつごー。

薬師と黒部五郎がみえる。なんか、この二人御似合いなんだよなー。北アルプスの端っこから他の山々を見守っている薬師と黒部五郎。どっちの山もそれ単体ででっかく構えているんだけど、よりどっしり、それでいて優しく構えている薬師の姿はさながら北アルプスのマザーだ。対してどっしり構えているんだけどシュッと凛々しくそして雄々しく構えている黒部五郎は北アルプスのファザーか。ふん、お似合いじゃねーか。そしてその子供がやんちゃな槍、剣、穂高といったところか。てか、遊戯王とかデュエマみたいに山に攻撃力とか守備力とかつけて、ダムとか川とかは特殊カードで、例えば立山連峰に黒部ダムを装備すると攻撃力1000アップ!!みたいなカードゲームを作ったら売れそうだなー。その名も、ネイチャーファイト、自然バトル!!。いいね~、これで特許取れば俺は大金持ちだ。下山したらブシロードに連絡してみよっかな。剱岳とかめっちゃ攻撃力高そうだな~。薬師岳は守備力高そう。。。でも、本当に山が好きな人は山に攻撃力や守備力なんぞあるものか!とかいいそうやな~。

とか思っているうちに、雲の平に到着。まずスイス庭園で一服。ここで、一昨日黒部五郎小屋でご一緒した方に再開。「これも何かのご縁ですから」とかなんとかおっしゃって、僕らにチョコレートをくれた。あざす。

次にテンバに行きテントを立てる。黒部五郎がまん前に見える。この日は、みんなで作ろう妄想物語シリーズ、「ウサギのタケノコ物語(the story of Rabbit’s bamboo shoot)」の話で大いに盛り上がった。どのような内容だったは、読者諸君の想像にお任せしよう(下ネタではない)。

どうやらこれから数日は雨が続くようである。今日でこの絶景とはしばらくおわかれか。本来ならば高天が原温泉ピストンで1日を消化する予定であったが今後も不安定な天気が予想されるため進められるうちにコマを進めておこうということで、温泉をカットし、明日、雨が降っていても薬師峠までコマを進めることが決定した。おやすみ。

この日は北海道で地震があった日でした。

 

9/7

 天気はがっつり雨である。これではせっかくの秘境も味が出ないではないか。詩人なら雨の雲ノ平にも趣を見出せるかもしれないが残念ながら僕の心はそんなに豊かではない。ただひたすらに雨に濡れて滑りやすい木道で滑らないように気を付けながら歩く。

 雲の平を抜けたら今度は薬師沢へ急降下である。ただでさえ急登なのに、この雨、さらに岩に引っ付いた苔も相まって、この急登を下るのは相当大変だった。細心の注意を払って下ったが、それでも転ぶ人が続出した。

今山行では、転んだ隊員に慰め言葉として「ロープ!!」と声をかけるのが恒例となっておりそのたびに隊には大きな笑いが起こった。そして、この急登を下る際に滑って転んだ僕に対してものすけさんが「ロープ!!」と言ってくれた。だが隊に笑いは起きず、場が白けた。そして、雨の音がより鮮明に聞こえるようになった。

岩では滑らなかったあの名CLのすけさんが滑ってしまったことからもこの急登下りの過酷さをお判りいただけるだろう。(CLとはチーフリーダーのこと)

急登を下り終え、最後につり橋を渡って、やっとの思いで薬師沢小屋に到着。

さて、ずっと下ってきて、今度はずっと上りである。薬師沢小屋で一服し、もう一度気合を入れ、太郎平小屋を目指して出発。

よっしゃ行くぜ!!とぅっとぅるー♪頑張るぞ!!太郎平小屋!!太郎平!よっしゃ!太郎……たろう…多浪………orz…………あー、なんで去年合格できなかったんだろー………(僕は二浪しています)

やはり雨の日はどうしてもネガティブになってしまうものである。

それでも頑張ってついに太郎平小屋に到着!!

20分ほど歩きキャンプ場の薬師峠でテントを立て、コンロで暖を取った。疲労も相当たまってきた。すぐそこから折立に下山することもできる。下山の誘惑に駆られる。だが我々の目標は室堂である。折立(おりたて)におりたって意味がないのだ。この北アルプス山行も残すところ少しである。競馬に例えると、ちょうど最終コーナーを回ったあたりか。8日目ともなると下山したさは相当である。だが、同時に名残惜しさも少しある。(山の神:まだ下山してすらいないのに名残惜しいとか悠長やな~けっけけ)

明日は雨だから一日停滞。明後日は二日分の工程を一気に消化して五色ヶ原まで行って、しあさってに下山しよう。という計画で行くことを皆で決めた。下山日が固定されたことで、まだもう少し正気を保っていられそうだ。ゴールまであと少しだ。

一色君、白馬さん、のすけさん、頑張りましょう。

次回:屈辱の薬師岳撤退、そしてその先に…(by 一色君)(青柳記)

この日は過酷で写真を撮る余裕がなかった。薬師峠での、のすけさん。

 

9/8

 この日は終日強い雨風が予想されたため、停滞することとなった。長時間行動が予想される翌日に備えて十分な休養を取る。

 

9/9

 テント撤収時には弱かった雨も、薬師岳の稜線にかかるころには大粒のものが降り出し、さらに風速25mを超えるような強風により、一歩進むのにも一苦労する。薬師岳の長大な稜線をこの雨風の中進むのは危険と思われたため、撤退の判断が下る。今朝出発したばかりの薬師峠に戻った時、パーティの士気はとても低かったが、テントに入り体が温まり始めると元気が出てくる。翌日の天候もよくないと予想されたが、完遂を目指すメンバーの意思は変わらなかったため、一つでも歩を進めることにした。

 

9/10

 一晩中降り続いた雨により、登山道は大きく様変わりしており、沢のようになっていた。足元を確かめながら慎重に進み、昨日撤退した場所までたどり着く。幸い、風は非常に弱く、いよいよ薬師岳を乗り超える機会が訪れる。山頂についても雨は相変わらず降っており、その後のガレ場やぬかるんだ登山道にも苦しめられたが、なんとかスゴ乗越キャンプ場に着くことができた。

増水した登山道

9/11

 次の日の天候が悪いと予想されたため、今日のうちに室堂まで目指すことになった。暗いうちから出発し、スゴの頭につく頃、朝日が昇り始める。振り返ると、今まで散々苦しめられた薬師岳がどっしりと眺められ、行く手の越中沢岳も朝日に照らされていた。途中、ブロッケン現象や滝雲など珍しい景色を見ることができ、最終日に最高の天気になって本当に良かった。鳶山、五色ヶ原、ザラ峠と順調に越えていき、獅子岳、鬼岳、龍王岳という怖い名前の山々を通過すると、一ノ越小屋が見え始める。一ノ越からの舗装路を歩いて、室堂の賑わいが感じられるようになると、やっと下界に下りられる喜びと、12日間の縦走をやり遂げられた喜びが、同時にこみあげてきて感慨深かった。下山後は銭湯に入り、晩御飯を食べ、お互いに山行の成功を祝いあい、解散した。(一色記)

最終日朝

五色ヶ原

 

<エピローグ>

 まあそんなこんなでみんな書いてくれたのですが、ここで僕が一番印象的なエピソードをつづっていきたいと思います。

それは10日目の話でした。3日間富山県では大雨警報が出ており、精神的な疲労もピークに達していました。そのとき、まだ我々は大雨や台風に悩まされ、まだ薬師峠キャンプ場にいました。予定より3日分遅れをとっていました。このままでは完遂は難しいと思い、雨でも薬師岳を越えるぞ、そういう気概でいました。朝2時半に起床し、暗い中を歩き続けていました。これはいけると思いました。しかし、稜線に出ると自然の凄まじさを思い知らされました。猛烈な風雨が我々を打ち付けたのです。僕は大声で「撤退!撤退!」と叫びました。あぁ…、まさにこれが「屈辱」の撤退だったのです。そして日も明け、誰もいない静寂に包まれたキャンプ場に戻りました。ところが、その時はみな意気消沈していて、折立(エスケープルート)で折れようと思っていたのかもしれません。僕もそう思っていました。まあ、落ち着いて今後の行程を話し合おう、そう思って成り行きでテントを立てました。テントの中に入るとどういうことでしょう、室堂に行くモチベーションが上がってきたのです。今までここまで歩き通してきたのにここで諦めてしまうわけにはいかない、そう思いました。

その翌日も雨でしたが、薬師岳に登頂しました。それは屈辱の薬師越えを果たした瞬間でした。

 端から見るとすごい臭い話ですが、許してください。

結局12日間山の中にいたわけですが、なんだかんだ楽しかったです。僕は高校の時から山をやっていますが、12日間も縦走することは初めてのことでしたし、こんなに縦走が楽しいものだとは思いませんでした。今もその余韻に浸ってしまっています。

でも、これからの発展のためにはやはり前を向かなければなりません。とにかく前に進むのみです。まあまだまだやりたいこともたくさんありますし。

最後に北アルプス縦走についてきてくださった皆さん、ありがとうございました。(松坂記)

停滞絵図。誰も人がいない。

縦走最終日、北アルプスの山々と皆さん。疲れが達成感に変わった瞬間でした。

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