参加者:CL安(3)、SL千田(3)、大橋(3)、網野(2)、松坂(1)、室田(1)
初めに、この山行に至るまでの経緯を説明しておく必要があるだろう。今年度の目標にしていた冬の大日岳の水晶尾根を諦めたのが11月。やはり剱で事故を起こしてしまったのが大きかった。夏のバリエーションルートを安全にこなせない奴に冬のバリエーションができるはずもなく、残り3カ月で現状から冬の大日に通用するレベルまで持っていくのは到底無理に思えた。またモチベーションの低下など部員それぞれに与えた影響も相当大きかった。そんな状況だったので、新たな目標を蔵王縦走(雁戸山~不忘山)にレベルダウンさせ、後期は3年のやりたい事より来年度を考えた後輩の育成に重点を置いて再スタートした。
ところが。11月の初冬合宿から始まり、12月の冬合宿、1月の雁戸山などと順調に調子を取り戻し、蔵王縦走完遂のイメージがぼんやりと湧いてきた頃に事件は起きた。1月30日。蔵王山の噴火警戒レベルが2に引き上げられ、噴火口から1.2kmに避難勧告が出されたのである。3年みんな、頭は真っ白、顔は真っ青。蔵王縦走の計画が吹っ飛んだ瞬間だった。こうまで滅茶苦茶にされると心の底からやる気が失せ、辞めたくなったが、来年度のためには何かしら冬の長期を立てないといけない。大慌てで代替案を考えた。そして誕生したのがこの面白山から泉ヶ岳までの縦走であった。技術的困難度は低く、根性と体力さえあれば完遂できるという基準で選んだ結果、このど渋い山行が生まれた。
1日目(2/22)
天候:晴れ
06:10 仙台駅→07:15 面白山高原駅→07:40 入山→12:20 面白山山頂→15:00 969mピーク手前コル、幕営
5時に片平に集合し、でかい荷物を担いで仙台駅へ向かった。重さは上級生が30kg前後、1年生も25kg以上はあっただろうか。ここ最近の山行で最も重い荷物となった。始発の仙山線に揺られ面白山高原駅につく。重い荷物を背負って面白山高原駅。夏のボッカ訓練の事を思い出すがその時とは違い景色は真っ白だった。晴れていて歩くと暑い程だった。カモシカコースから入山する。登山口の沢は水が流れていた。雪も多く積もっていて道が悪く苦労して進み、途中から登山道を追うことを諦めて最大傾斜方向に向かって登った。雪の状態は比較的歩きやすく、ラッセルもせいぜい膝下程度だった。しかしかなりの重量の荷物になかなか進んでいかず、序盤のコースタイムがシビアだったこともあり計画から遅れはじめる。そこで先頭の荷物を軽くし。上級生に分配してラッセルを軽くして進むことする。
後の方で荷物運搬係の皆さんが喘いでいる。ありがとうございます。
これが功を奏して、なんとかペースを回復させて進み面白山の頂上につく。遥か先に見える船形山にテンションを上げながら、皆でこれから繋いでいく尾根をあれやこれや確認しあって記念撮影を済ませる。
面白山山頂にて。
パッと見で縦走路が分からないが、遠~くに船形山が見える。
この日は最終的に予定ほどは進むことが出来ず、969mピーク手前のコルで幕営。ちょうどよいテン場を見つけることが出来、快適なテントの中で、大量に担いできた食料で豪勢な晩飯を頂いた。(網野記)
2日目(2/23)
天候:晴れ
04:00 起床→06:00 発→06:15 969mピーク→07:30 822mピーク→09:50 関山峠→13:20 1065mピーク→13:25 寒風山手前コル 幕営
縦走二日目に通った場所はおそらくこの縦走の中で最も地味な区間だったと思う。夏道はほとんどないし名前のある山もない、ただただ県境の尾根を歩くだけ。こんなところを歩くのもこれから先ほとんどないだろう、そう思いながら歩いていった。天気はとてもよく、歩いているととても暑い。完全に春山な感じだった。途中唯一のハイライト?!であった関山峠だったが、実際は尾根上には道標も目印も何もなく、拍子抜けしてしまった。峠を越えた後は200mほど登り返す。縦走中の登りは標高差が少なくてもとてもきつい。でも自分よりも重い荷物を背負って登ってくる先輩たちを見て自分の体力と気力の無さを実感した。
寒風山手前の1065mピークから。右端のピークが面白山。
登り切ったあとは少し見晴らしがよくなった。振り返ると今まで来た山々がよく見える。たくさん尾根が入り組んでいて正直どこを通ってきたのかよく分からなかったが、昨日登った面白山が遠くに見えて二日目にして縦走の達成感?みたいなものを少し感じることができた。(室田記)
担いできたケーキで関山峠通過を祝う。
3日目(2/24)
天候:晴れのち雪
04:00 起床→06:00 出発→06:25 寒風山→10:10 白髪山→12:40 楠峰→13:35 1050m付近、幕営
この日も先頭のザックを軽くし、千田と網野でトップを交代しながら進んだ。1ピッチ目では寒風山を通過し1132mピーク手前コルまで進んだ。そして2ピッチ目。1132mピークを登り、そこから下る途中で雪庇の崩落が起きた。人によって様々だが、自分としては「ゴゴゴゴ…」という低く大きい音が響いたように感じた。下り始める段階で地形と雪庇の端の位置は目視できていたため、樹林帯の生え際を通るように進んでいた。下っていくうちに樹林と雪庇の端の距離が狭くなってきているのを感じてはいたが、樹林帯のすぐ傍を歩いていれば大丈夫だろうと安易に考えそのまま樹林帯の生え際を歩き続けてしまった。荷物が大きかったためなるべく薮を避けたいという気持ちも少なからずあった。ちょうど隊の中間が差し掛かったあたりで、幅約1.5mにわたり雪庇が崩落した。その後はすぐに樹林帯の中に移動し、次の休憩時(1100mピーク)に状況把握および今後の雪庇処理の方針を立て直した。
1132mピーク。円内が雪庇崩落箇所。
白髭山の登りでは一箇所木々が禿げている地形があり、ここは一人ずつ通過した。またこの頃から天候が悪化しはじめ、雪が降り風も出てきた。粟畑から東に延びる尾根に乗り換えるとき、この尾根がすぐには見つからずやや苦戦した。結局ピークから少し下ったところから尾根に乗り移れそうな箇所を見つけそこから東に舵を切った。尾根を乗り換え落ち着いてから先ほどの粟畑のピークを振り返ってみると到底下りられそうにない雪庇が張り出しており、少し下ってからという判断は正しかったようだと安堵した。さて、仙台カゴ。直下到着時で視界は100m程度。雪も降り続いていたことからやむなく断念した。この瞬間のためだけにロープやギア類を持ってきていただけに、これは無念であった。ただの歩荷となってしまったが、このコンディションでは仕方なかろう。
まだ晴れていた頃の仙台カゴ。
楠峰の登り始めも地図で見る限り容易だろうと考えていたが想像以上に苦戦し時間を要した。そこからは順調に高度を稼ぎ、さらに楠峰から北東方向に進路を変えて、船形山取付き付近である1050m地点にて幕営した。ここ、本当に真っ平。最高のテン場でした。快眠です。
(千田記)
4日目(2/25)
天候:曇りのち晴れ
04:00 起床→06:00 発→08:40 船形山→10:10 蛇ヶ岳→11:05 三峰山→13:00 950m水場、幕営
天気図通りにいかないところが山の天気の面白いところだと思う。2日目までは面白いように晴れたが3日目に崩れたのをこの日も引きずっているようだった。もっとも、船形山に着くころからは回復すると見ていた。チームワークは日に日に良くなり撤収もスムーズだ。余った時間、行方不明になったケーキをプロービングで捜索するも不発。白馬は悲しそうだ。気を取り直し、出発。前日までと違いザックの重さは先頭を軽くはしないのでラッセルも回って来る。着実に高度を稼ぎ森林限界を超える。思ったより雪崩のリスクは低そうだ。集中力を最後まで維持し縦走中最高点のピークに立つ。
船形山山頂にて。こーゆーときに限ってガス。晴れろよ。
実に素晴らしいガスであったが遠くに登山者が見えた。人に会うのは初日以来だったが天気のせいか特に盛り上がらなかった(面白山から来たことを言おうものならもっと深いガスに包まれたと思う)。ここからはナビゲーション技術が問われる下りである。しばらくすると晴れ間も出てきた。しかし雪の多さに昨年難なく進んだ箇所もルートが分からない。おまけにGPSは二台とも不調。これでは近い将来個人装備になるぞ。それでも何とか現在地を把握した。みんな疲れているけど気づいたら完全に晴れていた。あと少し、山岳部最後の夜、待っていたのは最高のテント場だった。(大橋記)
快適なテン場。
5日目(2/26)
天候:晴れ
04:00 起床→06:00 発→07:20 北泉ヶ岳→08:20 泉ヶ岳→10:00 泉ヶ岳少年自然の家、下山
森林特有の静寂の中、気持ちよく起床した。今日は待ちに待った最終日だ。今日は予報通り晴れていたこともあり、楽しい最終日が期待できた。まず北泉ヶ岳へと向かう。標高差は300mと意外とあるので2時間ぐらいで到着ではないかと見込まれていたが、先頭でラッセルした方々の驚異的なペースによってなんと1時間20分で到着した。皆さんさぞかし早く帰りたかったのでしょう。
さて、北泉ヶ岳の景色は言うまでもなく圧巻。北には栗駒山、西には船形山、そして太平洋が広がっていた。もう少しで長い旅の終止符が打たれようとしている。その時が迫りつつあるような景色だった。
泉ヶ岳へと続く道ではトレースが付いており歩きやすい道だった。100mの登りを経て泉ヶ岳に登頂すると面白山が見えた。
泉ヶ岳山頂にて。あの山から来ました!(左から、室田・松坂・網野・安・千田・大橋)
ついに面白山からここ泉ヶ岳までの行程を一望できる景色に到着したのである。まさに息をのむような絶景だった。あそこから5日間歩いてきたと思うと感慨深くて何も言えなかった。(松坂記)