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八ヶ岳定着合宿(2017/12/27~31)

12月27日 入山

10:40 美濃戸口発→11:51南沢分岐→14:09行者小屋→19:00就寝

バスとタクシーでの移動は滞りなく済み、八ヶ岳山荘美濃戸口に到着した。とにかく気温が低い。雪はまだほとんどなく、土が隠れる程度だった。2日前くらいから強い冬型の気圧配置となっていたが、八ヶ岳の東側にはほとんど降雪がないらしい。装備を整え、その場にいた他の登山者の方に集合写真を撮っていただいてから出発した。高曇りの天気で、皆元気そうである。それにしても寒い。

 車道と登山道を行ったり来たりしながら進み、車道が終わったところで隊列を整えた。岩が多く露出した道に十二本爪のアイゼンは歩きづらく、また沢の渡渉個所に設置された橋桁の木材を痛めてしまって心苦しい。登るほどに少しずつ増えていく雪と氷は、気温の低さでカラカラに乾いている。休憩で立ち止まると風もないのに手足の間隔が薄れてきて、翌日以降の行程が思いやられた。開けた場所に出ても岩峰の稜線は見えず、裾まですっぽりと雲に隠れてしまっていた。長いような短いようなアプローチで行者小屋に到着した。

 天気図を見ると翌日は徐々に天候が回復しながらも強い冬型が続く予報で、予備日としてのジョウゴ沢に行くことを確認した。特にトラブルもなく、慣れた手順で1日目を終えた。「いつもよりテントが広く感じます」と誰かが言った。テント生活が上達した証拠だろう。(永田記)

出発前、八ヶ岳山荘の前にて(左から網野、永田、長谷川、鈴木)

 

12月28日 ジョウゴ沢

曇り

05:00 起床→06:30 BC発→07:00赤岳鉱泉→07:30 F2→クライミング開始→12:15 終了→12:45 赤岳鉱泉→13:15 BC着→19:00 就寝

朝からあたりはガスがかかっていた。行者小屋からも赤岳や横岳は山頂が見えなかった。前日の予報通り、阿弥陀岳や大同心を目指すのにはもう少し天気を待ったほうが良さそうであった。予備日も1日あるし、本日を予備日としてジョウゴ沢で軽く遊ぶことにした。行動日より一時間遅く起きて、炊き込みご飯を食べた。若干芯が残っていたような気がする。炊き込みご飯は失敗することが多い。でも美味かった。紅茶を一杯やってから出発し、大同心沢の一本北の沢に入った。トレースがよく付いているから人はたくさん入っていたのだろう。だがすぐに沢が狭くなりここではないことに気づいた。地図を見るとジョウゴ沢はもう一本北だった。予備日だからかぼけっとしていたのかもしれない。すぐにジョウゴ沢へ道を引き戻した。F1は雪にもあまり埋まっておらず登りたかったがF2で遊ぶ予定だったのでF2まで行って登攀準備をした。この時スクリューを持っているはずの隊員が持ってくるのを忘れていたことに気づいた。やっぱりぼーっとしているらしかった。長谷川と網野に取りに戻ってもらい、その間に永田と鈴木で巻道からF2を登ってトップロープを張り、一回ずつ登った。氷は昨年度に比べると序盤は斜度がありなかなかに楽しめた。後から来たパーティの登りも見させてもらい勉強になった。そうこうしているうちにスクリューが届いた。まずは長谷川がトップロープで登った。永田がビレーしている間、暇なので鈴木と網野で側の支流に入って見た。少し上にゆるい氷が張っており、フリーでアックスやアイゼンを刺す練習をして見た。硫黄岳方面は開けていて、ジョウゴ沢はまだまだ散策して見たいと冒険心が沸き立った。長谷川が登り終えると網野もF2を登った。全員登り終えてから、鈴木と長谷川が一回ずつリードで登った。トップロープで登るのと異なり、スクリューを打たなくてはならない。自分は蔵王の仙人沢糸滝でリードして以来でジョウゴ沢F2の方が斜度があったので恐る恐る足を上げて行った。新品のモノポイントアイゼンのおかげで案外スムーズに登れた。全員で6回ほど登ったわけだがBCに戻る時間になってしまった。本当は上部の滝も偵察に行く予定だったが行けそうにない。せっかくなので、遠目で大滝を見られる位置まで行って写真を撮って、BCへ戻って来た。翌日の行動のために水分をたっぷり採って眠った。夜には空はよく晴れていた。(鈴木記)

F2(クライマー網野、ビレー長谷川)

 

12月29日 阿弥陀北陵・赤岳

04:00 起床→05:30 BC発→06:30 ジャンクションピーク→07:55 第二岩稜取付→08:40 阿弥陀岳→09:10 中岳→10:00 赤岳→10:50 BC着→19:00就寝

朝ごはんが米だったため、起きてすぐに米を炊き慌ただしく準備。テントを出ると予報通りよく晴れていて、気分が高まった。阿弥陀分岐からもトレースがあり、暫く進むとトレースが二手に分かれていた。尾根に進むトレースを選択し、しばらく進んでいくと西にどんどん進んでいき違和感を覚えてストップ。北西稜に向かうトレースのようだ。少し引き返してトレースから外れ、北陵の尾根を直登するように登っていく。トレースから外れるとかなりのラッセルとなり、「少し時間がかかるか?」と思ったが程なくして北陵へ向かうトレースを無事に発見し、ホッとする。風も強くなく順調に尾根上を進んでいき、取付きに到着。太陽が横岳方面から顔を出し、南八ヶ岳の絶景に目を奪われながらロープを取り出し登攀の準備。永田さんリードで登っていく。上級生は全員来たことのあるルートだったが、久しぶりの本格的なバリエーションルート。緊張感を持ちながら進み、無事に阿弥陀登頂。360度雲一つない快晴で、興奮しながらみんなで記念撮影。阿弥陀の下りは急傾斜の難所であったが、12月ということもあり去年と比べて雪が少なめで、前回よりも簡単に降りることが出来た。そのまま赤岳に向かい、頂上でもう一度記念撮影した後、文三郎道で行者に帰った。テント場では他の登山客が増え始めていて、かなりの賑わいを見せていた。(網野記)

画像:阿弥陀頂上にて記念撮影

 

12月30日 横岳大同心

0400起床

0530BC 発

0650赤岳鉱泉

0720ルンゼ基部

0920大同心

0955横岳

1055地蔵尾根分岐

1120BC 着

(鈴木、長谷川)

1200BC 発

1245ジョウゴ沢F1

1400終了

1430BC 着

1900就寝

天気: 快晴

気温: - 18 ~ - 2℃

ガスが出ていないか心配であったが、テントの外に出てみると周囲は晴れ渡っていた。行動日3日目、一番楽しみであった大同心稜完遂にも期待が持てそうであった。気温は-18℃と冷え込んでいたが、早く出発したくて仕方がなかった。

2日前に偵察で確認した札を目印に大同心沢へ入っていく。沢から尾根に上がるポイントが判別できるか心配であったが、トレースもあり木々がよけているような道も確認できて一目で判別できた。尾根を上がっていくと傾斜はきつくなり木々は少なくなり雪も硬くなってくる。木のあるうちに早めにピッケルを出しても良いと思う。我々は基部直下でピッケルを出した。灌木もなくなってきて大同心が姿を見せた。頂点まで視野にとらえようとするとバランスが崩れそうになる。

巻き道は大同心に触れるほど近づいたところにあった。雪が締まっているのでロープなしで抜けた。ここからルンゼに入り、遡上していく。

1ピッチ目、スノーバーとアックスで分散支点をとり、永田リード、鈴木ビレイで登攀を開始した。見た目ではフリーで行けそうであり、実際その程度の難易度であった。最終支点は残置ハーケンともう一つ新たにハーケンを打ち分散していた。

2ピッチ目、鈴木リード、永田ビレイ。ルンゼが左右に分かれていたが、鈴木はより難度が高そうな左を選んで登って行った。右に行くものだとばかり思っていたので正しいルートであるのかと疑問に思ったが、結果的には残置が結構あったので一応来ている人もいるらしい。そもそも彼はあまり正しいルートとか気にしていないようだった。そういうのも楽しい。

ここまでで核心部は抜けたが、恐らくこのルートの一番の心配事は低温であろう。朝方、放射冷却現象で冷え込み、日の出時刻を過ぎても全く日が当たらないので低温が容赦なく四肢の末端を攻めてきた。フリーで行けそうだと思ったら行った方が良いと思う。待っている間に体は冷え込み、登攀時アックスや岩、雪を触る指の間隔はなくなってくる。少し恐怖を覚えた。もしくは行動開始をもっと遅くした方がいい。こんなに早く来る必要はなかった。

2ピッチ目を登りきると左手に正規ルートで通過するらしい小規模な雪原が見えた。そこを目指してトラバースしてみたが、至るには切り立った崖をトラバースする必要があったので途中にあった、チムニーをノーザイルで上がることにした。

安定したところに出るとすぐ左手に大同心が姿を現した。鯨のようなその巨体は圧巻であった。ごつごつとした岩肌が巨大生物特有の荒れた肌のようで(想像だが)より生物的な印象となっていた。その背を目指してゆっくりと歩み始める。頂点は日も当たり、そして周囲の山々が一望できる最高のロケーションであった。ずっとここにいたかったがそういうわけにもいかず、ひとしきり写真を撮って稜線に向かった。

その後横岳を縦走し、地蔵尾根経由でBCに戻った。

時間と体力に余裕があったので、鈴木と長谷川はジョウゴ沢F1に遊びに行った。F1とF2の間にも氷の張ったルンゼがあったので少し触ってみた。登り切りたいところであったが時間も時間であったため、後ろ髪を引かれながらも帰路に就いた。

これで計画していた行動は全て完遂できた。天候に恵まれたのもあるが、これまで行ってきた訓練や予備山行の成果も、成功に大きく寄与していたように思う。あとは明日下山するだけだ。ずっとこの山域にいたいと思うほど充実していた。(長谷川記)

 

12月31日 下山

5:00起床→6:49テント場発→8:15美濃戸山荘→8:50八ヶ岳山荘 下山

 周りのテントで人が動き出す音に目を覚ました。風も降雪もないので、朝食の炊飯をヨオと網野に任せつつ、拓海と二人で外張りを撤収するなどして時間短縮をはかる。拓海は本当にいつも時短意識が高くて、だらだらしがちな僕としては遅れをとらないよう苦労する。出発の直前、空のテント場の前に並ぶ3人を撮った写真が、今回僕が撮ったものの中で一番いい顔をしていた。網野の足指の痛みは治らなくて、途中からストックを2本持たせたが、荷物は最後まで譲らなかった。殊勝なことだと思う。ずっと快晴で、どんどん人が登ってくる。また一段とテント場が騒がしくなりそうだった。今回は比較的に静かで良かったな…どうして人は騒ぎたくなってしまうんだろうな…などと愚にも付かないことを考えているうちに、登山口の八ヶ岳山荘に到着した。ともかくまず風呂に入って、それから飛行機で実家に帰る僕の装備を、重量超過をしないためにみんなに持ってもらい(本当にありがとう)、バスで茅野駅に着いてからは順次解散となった。帰りの鈍行列車の中で、ヨオ、拓海と今後買いたい装備の話をしているとき、そういえば数年前ならこうやってメーカー名や製品名だけで話が通じるということにさえ感動していたな、としみじみ思い返していた。

 最後に総括を記す。今回の山行は来年度の冬期合宿を八ヶ岳で行うべく、そのときには主将になる網野が現地でバリエーションルートを経験しておきたいということで、僕は同行を依頼される形での参加となった。少人数で平均学年の高いパーティーだったおかげでマネジメントしやすく、また天候にも恵まれて、体力トレーニング、登攀トレーニング、予備山行と、準備がとんとん拍子で進んでいった。これまでの経験に基づいて、いくらかの不運が重なってもメインの山行を実施できるような準備はしていたが、その必要もなかったくらいに、今回はいろいろと順調すぎて怖いくらいだった。当日も天候に恵まれ、計画していた2つのルートをどちらもトレースすることができた。網野にとって、自分がリーダーとして合宿隊を編成し、下級生を率いてリードで登攀する過程を、より具体的に想像することができるようになったのなら本望だ。

 こうして、あたかも現役部員であるかのように登山できる期間も残りわずかとなった。現役活動報告を書くのも最後だろう。そこで少しだけ、これまでの山岳部での活動を振り返らせてほしい。

 入部して以来、これといった大きな目標もなく活動を続けてきた。子どもの頃、登山雑誌を読み漁るだけだった日々に憧れていたことを手当たり次第にやるだけで、ここまで来てしまった気がする。少なくともそれが原動力だった。そうして活動する過程で、五感を通して感じたもの、身に付けた技術、考えたこと、そして出会えた人たちの全てが今の僕を形作っている。脳を通して言語化できない、かけがえのない何かが今、僕の体には充密している。思い起こそうとすると、その得体の知れない何かが、涙となってにじみ出してしまう。そんな7年間の日々だった。この山岳部が、部員の一人ひとりにとって、自分だけの大切な何かを得られる場所であることを切に願う。(永田記)

下山開始前、撤収後のテント場を背に(左から長谷川、網野、鈴木)

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