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2017/02/18~22 八ヶ岳定着合宿

八ヶ岳定着合宿

参加者:CL鈴木(3)、SL長谷川(3)、発地(3)、見原(2)、大橋(2)、安(2)、大村(2)、千田(2)、網野(1)、山崎(4)、永田(M1)

2月18日(土)

0725 バスタ新宿発→1000 富士見駅→1040 八ヶ岳山荘→1445 行者小屋(BC幕営)

天候:晴れ

前日に夜行バスで仙台から新宿まで移動し、新宿でバスを乗り継ぐ形で富士見駅に向かった。富士見駅から八ヶ岳山荘まではタクシーで移動し、山荘前で、皆で記念撮影を行った。天気は良く、気持ちの良い入山となった。アイゼンは履かずに出発したが、歩いて10分ほどの坂道で氷が張っており、そこでアイゼンを履いた。その後の、やまのこ山荘手前の林道で、軽トラックが側溝でスタックしており救助にあたった。重量のある荷物で、途中時間のロスもあったが、美濃戸山荘からの登山道も順調にすすみ、おおむね計画通りの時間に行者小屋につき、幕営した。休日ということで多くの登山客で賑わっていた。天候が良かった為、テント場からは硫黄岳、横岳、赤岳、阿弥陀岳、全ての見事な山容を見渡すことができ、気持ちが引き締まった。(網野記)

2月19日(日)

・地蔵尾根―赤岳―文三郎尾根 参加者:L鈴木(3),大村(2),大橋(2)

天気:曇りのち晴れ

大村のヘッドライトがつかなかったため大橋を先頭に歩きはじめた。地蔵尾根は急な箇所もあったがロープを出すことなく通過できた。前日から冬型の気圧配置が緩んではいたが稜線上にでると風が強く15m/sほど吹いていた。赤岳に近づくにつれガスは晴れピークを踏むころには視界がひらけた。このとき気温計は-23度をしめしていた。赤岳直下の下りは危険との事前情報から慎重に下りつつ景色を楽しんだ。結果的にゆっくり歩いたものの3ピッチでBCに戻った。(大橋記)

・赤岳―阿弥陀岳  参加者:L長谷川(3)、安(2)、千田(2)、網野(1)

0400 起床→0540 出発→0720 赤岳→0905 阿弥陀岳→1130 BC

天候:曇りのち晴れ

トイレなどのため、若干遅れての出発となった。樹林帯を抜けると、文三郎道の急登が始まり、確実にアイゼンを蹴り込みながら進んだ。急登での雪はある程度しまっており、アイゼンやピッケルが良く刺さった。途中3名ほど先行者がいたが、全員追い抜かすほど早いペースで登っていった。気温も低く、稜線に出ると風がかなり強くなり、初めて経験するような寒さだった。赤岳山頂でも寒さが厳しく、記念撮影を手短に済ませ阿弥陀の分岐に向かって下山を始めた。途中の権現岳の分岐で休憩を取っていると、地蔵尾根の隊と出会った。この辺りから天候が回復し始め、眼下の美しい景色や、富士山などの山が見えるようになってきた。阿弥陀岳直下の急登では、雪質が柔らかく、雪を掻きながらの高度感のある登りとなっていて、緊張しながら登った。頂上直前で北稜の隊と出会い、互いの無事を喜んだ。山頂につく頃には、天候は快晴になっており、頂上でのあまりの絶景に隊員一同息をのんだ。長めの休憩を取ったあと、先ほどの急登を慎重にくだりBCに帰還した。阿弥陀での絶景は一生忘れることは無いだろう。(網野記)

・阿弥陀岳北稜 参加者:CL永田(M1)、発地(3)、見原(2)

0540BC→0700ジャンクションピーク→0730第一岩峰取付→0840阿弥陀岳山頂→1030BC帰着

天候:曇りのち晴れ

朝、やや視界の悪い中アイゼンを装着して出発。ジャンクションピーク手前で先頭パーティを抜き、膝下ほどのラッセルとなった。第一岩峰では先頭で取り付いたものの1p目終了点(ペツル2つ)で何パーティーかに抜かれた。この頃から天気が好転し、快晴となった。ナイフリッジを超えた先でスノーバーで支点を取り2p目を終え登頂。阿弥陀の下りの雪壁は前爪を使いながら下りた。(見原記)

2月20日 ジョウゴ沢(F2まで)

参加者:L鈴木3、長谷川3、安2、千田2、大村2、山崎4、永田M1、(見学:発地3、大橋2、見原2、網野1)

天候:雪

 アイスクライミングの経験を積むべく合宿後の居残りで計画されていたジョウゴ沢だったが、予備日を消化する代わりに実施できることには入山するまで気が付かなかった。出発時点では雪がわずかに舞う程度だったが、天候は時間を追って悪化することが予想され、樹林から垣間見る稜線は真白い雲に隠れていた。赤岳鉱泉を過ぎて硫黄岳へ続く登山道を少し進み、木札のかかったロープをくぐってジョウゴ沢を辿って行く。沢はほとんど埋まっていたが、所どころに岩盤状の川床を薄く覆う水流が見られた。ほどなくF1に到達。高さは4m程度で傾斜も緩く、また容易に巻くこともできたが、登攀のレクチャーも兼ねて自分がリードした。とはいえ指導するほどの技量がある者はいないので、教わったことを口伝するのみである。2本のトップロープを設置して全員が登った後、見学隊を待つために鈴木、千田、大村を残し、F2に進んだ。F2の高さは10m程度あったが、F1ほどではないにせよ傾斜が緩かった。リードじゃんけんでは自分が勝利し、最正面から取り付く。東北で経験した氷に比べれば余程容易に感じられ、楽なムーヴを探る労もなく終了点にトップロープをかけた。沢の下方から吹き上げる風雪は強まるばかりで、見学隊を待たずに撤収する判断でF1に残った3人も合流。左手の巻き道からも登って2本目のロープをかけ、繰り返し練習をした。石垣や鎌倉山でのアイゼン登攀練習のおかげか、アイスクライミング未経験者も難なくこなしていた。スクリューの設置も練習することができ、満足して撤収。引き返す途中で見学隊と合流したため、F1、F2に戻ってごく簡単な登り方のレクチャーをし、帰路に就いた。(永田記)

ジョウゴ沢 F2にて

2月21日(火)

・横岳縦走 参加者:CL発地(3)SL見原(2)大橋(2)網野(1)

0540BC発→0930硫黄岳→1050横岳(奥ノ院)→1300赤岳→1410BC

天候:風雪のち晴れ

前日の雪の影響で行者から赤岳鉱泉、稜線まではトレースがなく、多くて膝までのラッセル。見原、大橋、発地の三名でラッセルを回し、赤岩の頭を目指し稜線まで一気に上がる。このとき赤岩の頭手前でトラバースをしたため、赤岩の頭すぐのコルに直登した。雪の状態と急な斜面を考えると、少し引き返して赤岩の頭に上がるべきであった。稜線上は予想通り風が強く、時折耐風姿勢を取りながら硫黄岳、さらに横岳を目指す。ガスが多く視界も悪かったが、ロープや道標が多く、夏道は明瞭であった。奥ノ院まで進むと風も弱まり、ガスが晴れて日差しも差し込むようになった。奥ノ院から先は連続する岩場を慎重に通過した。鉾岳から日ノ岳に向かう途中でトラバース道を見失いかけることもあったが、危険箇所である日ノ岳の下り含め問題なく進んだ。横岳通過時の赤岳、阿弥陀岳の眺望は実にダイナミックであった。最後の赤岳の登りは疲れのせいか皆きつそうであったが、山頂は眺望もよく、集合写真を撮るなどしてからBCに帰還した。1年の網野含めメンバー皆にとって良い経験になったであろう。(発地記)

・阿弥陀岳北稜 参加者:L鈴木3千田2大村2

0400起床→0540出発→0800JP→1030山頂→1200中岳→1320BC

昨夜からの降雪でトレースが消えているのは自明であった。朝千田と大村がワカンを履き、その二人がラッセルを担当することになる。しかし、二人では不十分であったことに後に思い知らされることになる。JPまでは意外に急登で腰~胸のラッセルが約2時間続いた。JPまでの標高差は約250m。足取りは重いが荷物は軽い、だんだんとテンションが上がり思いっきりラッセルをする。空身でのラッセルは気分がいい。自分はそのときの疲れが、阿弥陀岳登頂後の登りで出てかなりバテルことになる。JPに出て周りを見渡すと、ホワイトアウトしていた。時々風も強く吹く。コンディションはよくない。取り合えず第一岩峰を目指す。千田がトップで第一岩峰前のリッジを通過した瞬間、雪面にシューチングクラックが走った。後方の鈴木がそれに咄嗟に気付き、隊はストップした。自分はというと、それに気づくことはできなかった。危機感知能力が足りていない。慎重に右側の木が生えているところを巻いて通過した。第一岩峰にたどり着くが、先頭の千田と僕はワカン+アイゼンで取り付きフロントポイントが雪面に非常に刺さりずらい状況に陥った。おかげで急な雪壁の途中で立木にセルフビレーをとり、ワカンをとることになる。この作業は割りと厄介だった。気を取り直してアイゼンで雪壁を進む。フロントポイントとピックが気持ちよく雪壁に刺さる。降雪後であったが、雪面は安定していたのでロープは出さなかった。第二岩壁辿り着いた時、寒さで体は冷え切って全身震えが止まらない。意を決して取り付く。悪天候に惑わされず落ち着いて登れば、優しいクライミングだった。風も強く展望もゼロだったので、阿弥陀岳山頂ではさっさとコンテで下山に取り掛かった。降雪後の下りだったので、雪はしまっておらず足を置くたびに雪が崩れ落ちる。いつ雪崩れてもおかしくない下りだ。途中でさらに急な斜面にはいったので、スタカットに切り替えて下る。風が強すぎてロープが束ねれなかった。降雪直後は阿弥陀の斜面は下るべきでないだろう。文三郎道に差し掛かった時に徐々に視界は広がり暖かい日差しに包まれ、僕らはほっと胸をなでおろした。(大村記)

(第二岩稜 最終ピッチのナイフリッジにて アンカー大村)

・横岳西壁 石尊稜 参加者:L山崎4、永田M1

0540行者BC→0800石尊稜取付 登攀開始→1040上部岩稜取付→1200石尊峰→1320BC

天候:風雪のち晴れ

 前日は990hPaの日本海低気圧が中部山岳を襲い、朝までに50㎝以上の新雪が積もった。当日は大陸から移動高がくる予想だったが、その動きは鈍く、結局日中は冬型が決まった。中山乗越から下ったところで一般道から逸れて、右手のトレースを辿る。すぐにツボ足は厳しいとわかり、ワカンを装着した。左手の樹林の向こうにみえる右俣沢を目指すが、ここではワカンでも胸まで埋まる積雪。沢筋にでると、膝から腰程度のラッセルとなった。小同心ルンゼ、三叉峰ルンゼの出合を過ぎて、下部岩壁が直上に目視で確認できる位置から、雪壁を登って取り付いた。我々は左手の尾根上まで上がってからギアを準備したが、遠目で見るよりも以降は急峻でスペースが狭いので、取り付く前の雪面がウインドクラストしてくるところで、ワカンを外すなどした方が良いだろう。

 取り付いた頃には、視界100mほどで、フリースを着ていても震えが止まらないほどの寒さだった。最初のビレイポイントは複数あったが、そのうち左側のペツルを使った。下部岩壁は奇数ピッチを山崎リード、偶数ピッチを永田が務めた。この1P目が核心という前評判だったが、細かいホールドを丁寧に拾うような、確かにデリケートなクライミングだった。多量の降雪の割には、岩肌は露わだった。左手の凹角を行きたくなるが、ランナウトしそうだったので、右上の残置ハーケンを使ってから、ビレイポイントの灌木を目指して左上した。永田さんでもフォローを終えてから「ちょっと悪くない?」と言ったので、やはりちょっと悪かったのかと思う。だが何より…寒い!手が悴んで思うようにロープワークができない。気づくと、いくつかの環ビナが凍ってロックが動かなくなってしまっていた。続く2P目は、灌木を縫うようにして、切れ込んだ岩交じりのリッジをあがって30m程。岩の上に新雪が載り、やや不安定。3P目は容易な雪稜で、ここからボディビレイに切り替える。この辺りが一番風雪が厳しかった。4P目は岩峰を左から巻いて50m一杯、ダブルアックスが快適で愉しい。その先は傾斜が落ちてきたので、コンテに切り替えた。

 雪稜に出ると、膝まで埋まる雪となった。上部岩壁の取付の100m手前で、待望の青空が覗かれた。ラッセルしていくと末端の感覚が徐々に回復するが、それでも依然として北西風は冷たく強い。上部岩壁は奇数を永田、偶数を山崎がリードした。下部岩壁と違って岩がちなのでピックは刺さりにくいが、ホールドは比較的大きい。この1P目も注意を要した。高度感がある岩稜だが、長いランアウトを強いられた。フォローとしては爽快な登攀だが、リードの永田さんは肝を冷やしたことだろう。ここは声が全く届かなかったので、ロープの張りを頼りに操作した。今シーズンよく組んでいたペアであるお陰か、タイムロスはほぼなかったように思う。岩陰の残置スリングをビレイポイントとした。2P目でリッジの左側へ乗越せば、右上するルンゼが確認できるので、あとはこれを詰めれば、登攀終了となる。3P目からはコンテで問題なかっただろう。

黒い永田と緑の山崎、恵みの青空。

本来なら、ここで石尊稜の感想を述べるべきだが、まぁ大したことではない。それよりも、何とか成功裏に終えることができた今回の合宿について、個人的な感慨を漏らすことを、どうかお許しいただきたい。

八ヶ岳での定着合宿は、部として数年越しの悲願だった。3年前は久米さんの赤岳ー硫黄縦走、一昨年は鈴木さんの権現―赤岳縦走が実施された。去年は常田隊の権現ー硫黄縦走、山崎隊の阿弥陀南稜で、部員の多くが冬の岩稜に親しむこととなり、「いわゆる」冬のバリエーションにも着手し始めた。こうした蓄積を糧として、今年ついに実施に漕ぎつけることができた。それだけでも素晴らしいことなのに、今回は2年生以上の計10名が、阿弥陀北稜といった冬季バリエーションを無事にトレースできて、大変喜ばしく思っている。この結果はまさしく、皆の山への情熱が結晶化したものであり、いま「山岳部」として成熟しつつあることを示すものだと思う。これだけの技術がありオーガナイズされた集団ならば、近いうちに現役主体で海外遠征を組むことも可能となるだろう。そして、段々と先鋭的な登山を志向し始めていることから、今後は、どれだけ目標をメンバーで共有・一致させて、サスティナビリティを担保できるかが課題となるのかと思う。

翌22日の阿弥陀北稜が、私にとって山岳部最後の登山だった。この春からは北大の院に進学するが、沢やスキーを中心にしぶとく続けていければと思う。(山崎記)

2月22日(水)

・阿弥陀岳北稜 参加者:CL山崎(4)、SL安(2)、大橋(2)

05:20テン場発→06:40第二岩稜取り付き→08:00阿弥陀岳山頂→09:40帰幕

天候:晴れ

 昨日の午後から天気が好転し、起床後に空を見上げると一面に星空が広がっていた。そして気温もそれほど低くなく、風もない。これ以上ないベストコンディションであった。行者小屋からは昨日の北稜隊が苦労して作ったトレースを有難く使わせてもらう。それでも途中トレースが消えていたため膝上のラッセルを交えながら進み、まだラッセルを楽しめている間に樹林帯を突破した。樹林帯より上は雪がいい具合に絞まっていたお陰で快適に高度を稼ぎ、北稜の核心である第二岩稜に至った。ここは山崎さんのリードでフィックスをはり通過した。計2ピッチ。高度感も相まって足がすくんだが、想像していたよりも簡単に核心部を通過できた。下界での訓練が生きたと思った。その後は緩い斜面を進んで山頂を踏んだ。時間にはかなり余裕があったため30分ほど山頂で過ごし帰幕した。帰り道の文三郎尾根上で団体登山者20人以上とすれ違うことがこの日一番の核心となった。(安記)

・硫黄岳 参加者:永田(M1)、千田(2)

0600 BC発→0730 赤岩ノ頭→0750 硫黄岳山頂→0810 赤岩ノ頭→0930 BC着

当初の計画ではこの日は赤岳主稜と阿弥陀岳北陵の2パーティーのみの予定であったが、テントキーパーが多く、余力のある者がいたため新たにこの硫黄岳ピストンの隊が編成された。前日の横岳縦走隊のおかげでラッセルはほぼ皆無であり快適に高度を稼いだ。赤岩ノ頭直下は雪崩を警戒し、トラバースではなく尾根上を直登するライン取りをした。終始天候にも恵まれて心地よい行動となった。(千田記)

・赤岳主稜 参加者: L鈴木3、長谷川3

0530出発→0730取り付き→1030登攀終了→1130帰着

天候:晴れ

空が暗いうちから星々が見受けられ、晴天であることがよくわかった。取付きまで行っても風をあまり感じず、気温も-10℃弱といったところで登攀にも安心の天候である。明日は雨の予報なので今日登らないという選択肢はない。1ピッチ目は長谷川がリード。始めにして核心の1つである。チョックストーンを乗り越えるのが難しいと言う話であったが、バイルのピックがうまく引っ掛かり難なく突破できた。その後まっすぐ雪の詰まったルンゼを行くか右の岩壁のトラバースか迷ったが、登攀可能な範囲でより難しそうな後者を選択。途中支点がなかったのでカムを使いながら終了点までたどり着いた。2ピッチ目は鈴木がリード。1ピッチ目終了点からトラバースをし、リッジを反対側から上がる。3ピッチ目は長谷川リード。あまり印象に残らないピッチであった。4ピッチ目は中間岩稜までコンテで進み、凹角の直下のハーケン二つで支点をとって再び登攀を開始した。5ピッチ目もコンテで通過した。この日はルート全体の雪がよくしまっており、ピックの刺さりが心地よい。6ピッチ目、二つ目の核心である。ここは鈴木がリードした。ハーケンが打ってある左側から登るが少し悪かった。ホールドと足場が少ない中で、バイルに多く体重をかけながら慎重に突破した。(ここが総合的に見てもルート上の核心といえる。取り付きを上がってもリッジ上にはまだ乗っておらず、間違った?ルートに残置スリングがあったりする。ここではルートファインディングに迷ってしまったが、ルート研究で見覚えのあるチムニーを発見し、決心してそのチムニーを登った。ここも悪いところだ。リッジに上がるとぺツルのハンガーボルトが二つ打ってあった。正規ルートだったようで安心した。(鈴木談))。その後7、8ピッチ目は長谷川がリードした。支点が乏しかったがピナクルを使いながら登った。8ピッチ目終了点からはコンテで山頂小屋まで進んだ。赤岳山頂付近で一休みし、展望を楽しみながらBCに向かう。この三年間で恐らく鈴木との山行が最も多かった。多くの時間を共にした彼と3年生最後にこの難ルートを達成できて本当に良かったと思う。4年生になってもその後にもまた一緒に登りたいものだ。(長谷川記)

赤岳山頂にて(左:長谷川、右:鈴木)

・おわりに

横岳西壁・石尊稜の記録で山崎先輩が述べているので多くは語らないが、今回合宿を成功させることができたのは感慨深いことだ。それはすべて、ここまでついてきてくれた1・2・3年生のみんな、そして永田先輩、山崎先輩、合宿の参加には至らなかったものの、検討ではコメントを残してくれた常田先輩、在仙を引き受けてくれた巻島先輩らの支援あってこそである。過去の先輩方がつないできてくれたこの山岳部を、さらに次世代につないでいく過程の中で、ほんの少しでも自分が役に立っていれば、これ以上の喜びはない。最後に今回の合宿で記憶に残るワンシーンをご紹介したい~~~~快晴のなか、赤岳主稜の登攀を終え、文三郎道を下る。山頂を見上げると大勢の登山客で賑わっている様子が窺えた。主稜に取りついているパーティもいた。このラインを「今日一番で、僕が登ったんだ!」と思うと胸が熱くなった。文三郎道も尾根の形を失い、だんだんとベースキャンプが近づいてきた。濃い樹林を抜けベースキャンプのほうを見ると、肩を組んで此方を見ながら跳び跳ねている連中がいた。僕ら以外の9人が、揃って僕らの帰着を待ってくれていたのだ。彼らのほうへ向かって走った。そして声をあげながら9人と、最後にザイルパートナーの長谷川と拳を交わしたことを、僕は一生忘れないだろう。(鈴木記)

下山後 八ヶ岳山荘前

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